農業経営者の時間配分
日本農業新聞で経営のツボというコーナーがあり、たまにUPされる。今日、たまたま掲載された記事であるが、農業生産と農業経営のバランスたるものを整理されているが、結論を言えば、こうだ。「これからの農業経営者に大切なことは、農業生産の力を落とさずに農業経営の時間を確保し、自らの農業経営力を高めていく」ということになる。儲かる農業経営の実現の本質が農業生産にあるということを言われているが、6次産業化など加工に走るのではなく、根幹がやはり生産事業をどう構成して経営していくかということになる。どうも生産事業を軽んじるような傾向に踏み入りがちであるが、やはり基礎基本に立ち戻り、農業経営をしていくことに他ならない気がする。農業経営という観点への意識は強めることは必要であるが、自己点検は基礎基本からである。
なんでもかんでも
野菜が高いね、ほんと。今日の日本農業新聞では、キャベツの小売価格が過去5年で最高価格という見出し。天候などもあるにせよ、食は生活の根幹、値上がり傾向がなんでもかんでも続いているので、 ほんと生活が厳しくなっている。飽食時代と位置付ければ、もう一日2食ということもありうるかもしれない。それだけ日本は貧しい国となってしまった。最近の記事では、新興国転落というワードも見たが、まさしくそう、正面から事実を受け止めなければならないだろう。野菜の高騰をみると、ほんと手軽には食が食べられなくなった。さらに離農も増えるだろうと思うし、悪循環。暗いニュースが多いなあと思うが、それでも生きていかなければいけない。なんとかならないだろうかと思いつつも・・・。
理系拡充の大学新設
今日の日本農業新聞の一面に、「食、農、環境学部」と続々という記事がトップに。2027年の新設に向けて動き出しているのだろうが、一応、理系で最後に学位を取った身からすれば、気になるところである。特に広島県は、広島工業大学、広島修道大学と2校が予定している。新設されたからといって、人口減は変わらない。その意味で大学の存在意義が問われる中、どこまでニーズは続くのか、正直不透明である。しかし、やるからには根強く続いてほしいと思うので、期待をしながらみていくこととしたい。
オレンジジュースなくなる?
先日、日本農業新聞でこのような記事がでた。オレンジ果汁不足である。世界的な果汁不足と物価高騰が背景であるが、国産の機運とも言えない。農業の後継化不足などによる脆弱化を考えると、外国産が駄目だから国産にという安易な移行にはならない。すなわち、少しずつオレンジジュースも手の届かない品物になるのか。日本は貧しい国になっている。円安も止まりそうにない。政府サイドはインバウンドの機運で、経済は活性化していると思うのかもしれないが、国内では物価高騰である。賃上げは大手だけであり、中小企業は倒産がますます増えるだろう。政治の混沌は収まりそうにない。目を覚めることのない今、我々はどこに向かうのか。難破船、オレンジの記事はいろいろ考えさせられるものであった。
資材高止まり続く
今日の日本農業新聞の1面である。農業の倒産が最多更新だそうだ。負債が100万円から5000万円がもっとも多いようである。スタートアップに多額の資金を要する。農業は単価が低いものを売り、商売をするのだから回収という観点ではなかなか厳しい。そして気象の問題や生産物の育成と考えると、不安定な要素もあるので、計算通りにはなかなかいくまい。資材の高騰もボディブローのように効いてくる・・・。農業は人間生活の根幹を担う「食」であり、大切な産業である。これをどうとらえるか。保護が手厚いのか薄いのかなどいろいろ議論はあろう。しかし、こういう記事をみると新たな担い手が出てくるのだろうか。別の産業を職業に選んでいくのではないかなど、やはりいろいろ思うことは多々。価格転嫁・・・、これは当然ではあろうが、賃上げ?さあどうなるんでしょう?
ほんと「謙虚」なのか
一応、専門はと聞かれると、「農業会計学」と答えているが、その農業会計学は、農業経済学の一端から派生しており、その一部として考えていい。僕の立場からすれは、社会科学で育ってきたと思うが、最後は自然科学の農学部出になるわけで、ほんとどっちつかずで生きているのは間違いない。そのどっちつかずの僕が先日読んだ「農業経済学の意義」で違和感を感じざるを得ない。謙虚という言葉が果たして適切なのか。中身を読むと意味はわかる。「本質的な構図をシンプルな概念で提示するのが農業経済学の役割」、「能動的に日本の農業を内外に発信することが重要である」ということは理解できる。果たしてそれが「謙虚」なのか。ぱっと言葉が浮かんではこないが、「謙虚」ではない。そんな所感を得た記事であった。
時代への対応
昨日であるが、日本農業新聞にこんな記事が出た。地域づくりや農業をテーマとした入試問題が多く採用されたとのこと。農業高校であると、農業の科目が用意されているので、知識としてあるかもしれないが、普通科の高校で学んでいると、知らない可能性も高い。しかし、農や食という部分は人間生活の根幹であるので、それを知る、学ぶという点では必須であるものの、入試問題で多用されることを考えると、普通科の高校でもこうした科目の用意は必要かもしれない。高校教師には興味があるが、なにせ教員免許がない。特別免許状というのもあるが、うまくそれが回避できるのなら、活躍の場が僕にもあるかもしれない。そう思いながら、時代に僕の領分がマッチし始めた気もする記事であった。
日本三大和牛
日本農業新聞を購読しているが、はっきり言えば読むところはほとんどない。たまに読むべき記事も出てくることから、取っている。今日の記事は教養的なものであるが、へっ~と思ったのであるが、日本の三大和牛である。松坂、神戸・・・、あと一つと言い江波、米沢か近江のようだ。いつどこで定義されたのか、またどんな理由で言われるようになったのかはわからないようだ。岩手県の奥州市に牛の博物館たるものがあるらしい。そんなことも知らずして、どうも三大和牛と言っても、数を数えれば4つ。そう考えると、米沢も近江もどちらかがもれるよりは、あいまいであるが、競い合ってよりよいものを後世に続けていく方が好ましいかもしれぬ。そんな所感。牛肉が食べたくなったな~。
ブロッコリーの指定野菜の追加
現在の指定野菜はキャベツ、キュウリ、サトイモ、ダイコン、玉ねぎ、トマト、ナス、ニンジン、ネギ、白菜、ジャガイモ、ピーマン、ホウレンソウ、レタスの14品目があるが、じゃがいも以来、52年ぶりの指定野菜の追加になる運びだそうだ。指定野菜となれば、農林水産省が需給ガイドラインを策定し、出荷団体や生産者がそれに基づき供給計画を作成することで安定供給に努める。特定野菜に比べて、価格が下落した際に生産者に支払われる補助金も手厚くなるのだが、ブロッコリーは指定野菜ではないんだと思ったものだ。どうも県や市町村の支援野菜は見るのだが、国の指定は盲目的であった。改めてみると、サトイモ?とか思うものもあるが、52年ぶりということは極めて画期的?異例?、そんな印象である。
考えさせられる内容
僕自身が「農村たたみ論」という言葉に初めて遭遇したかもしれない。田園回帰や田舎暮らしもあるが、最終的に財政問題が大きく、結局は都心部への移住に繋がる議論になる。農村、集落ががなくなると、経済的には善という考えである。一方で、農村、中山間地域における多面的機能や公益的機能ということもあるが、バランスよくという形が極めて難しいと考え、財政負担はできない=農村たたみ論に繋がるのだろう。何か人間生活がギスギスしたものとなり、胸が引き締められる記事であった。農業の行方は一体どこに?そんな受け止めをした。