左脳

熱量の差

ギラギラと

最近、政治家の秘書をやっていたとか、現役の秘書だとかに出くわすことが多い。政治に一歩下がったところに自分が今いて、積極的にもかかわろうとしないし、かかわりをもたそうとする橋渡しのような存在もない。可もなく不可もなく、あまりあれこれ言わないようにしている。それはそうと、まあ政治的な会話をすると、やはり熱量が高いというか、目が生き生きとしてしゃべってくる。僕も候補者のときもあったからわかるが、たぶんその頃は野心があり、ギラギラしていたのではないか。そんなことを人を見て感じた。かつての支援者に用事があって、その出来事を話してみると、やはり昔はもっとグイグイときてたと言われた。確かにとんがっていたっし、若さもあったのだろうが、やはり野心という熱量があったに違いない。今はあの頃のような情熱はないように思う。普通にビジネス、研究、日常とあるにせよ、ほどほど。あるとすれば、ビジネスを何かエンジンをかけて、動かしていく。その中での喜びを探しているような気がする。政治ほど刺激的なものはなかった。これは僕の実感であるが、何が何でもこれをやるんだ!という強い熱量をもって、取り組む目標が失われている。「ほどほど」なのだ。「ほどほど」といっても、一般よりは高いはずだ。でも突き抜けていない。突き抜けてとんがっていくような刺激的で面白いなと思うこと、内発する情熱が表面化するのはいつだろうか。僕自身の問いかけである。いろんなことを考えつつ、自分自身の「鏡」となった出来事であった。また僕もいろんなことをしてきたんだなと思う瞬間でもあった。

混乱の消費増税

軽減税率は必要なのか

10月1日より、消費増税が実施された。消費税は増税をすべきだという考えであるが、さすがに今、やると消費はかなり落ち込んでくると予想される。まず8%に上げただけで、税金の滞納が増えている。これを解消することの方が得策と思える。そもそも中小企業者は、消費税が預り金だと知りつつも、資金繰りに回ってしまう。故に、消費税分としてのカウントではない。企業を営まない個人では、たかが2%の増税という考えの人もいるが、企業を営んでいるとそうはいかない。3000万円で60万の差(8%と10%の差)を生む出すことになる。災害も多い今、その2%は大変大きい。さらに単純に2%上がるのであれば、まだわかりやすいが、複数税率になる軽減税率。これはほんと複雑である。公明党さんの肝いりの税制であるが、ほんとに賛成なのか疑わざる得ない。租税の原則、公平・中立・簡素からも外れ、とにかくわかりにくいのがネックである。これ、慣れるのかね?と疑問符もつく。軽減税率は即刻やめるべきである。10%もどうかと思うが、どう世の中が変わるのか、政権政党にも現実で理解をするしかないようだ。僕の考えは8%据え置き。他の税制で補うというのがいいと思っている。他の税制?法人税と所得税から徴収を考えるべきと思うのだが、さあどうでしょう。混乱はまだ続きそうだ。

調べる技術

どのように進めるのか

学者もどきのようなことをしていると、やはりそうは言っても年に1度くらいは報告、論文投稿といったことをやらないとと思ってしまう。これが一貫性のあるものであればいいが、僕の場合はどうしても各個撃破型。その時に思う課題を解決することに向かってしまう。計画的でないかもしれないが、有機的にどこかでつながってくる。いつもそう思っている。だからあまりに気にしてもいない。一応、博士論文が終われば、僕の農業会計論は区切りとつけて、会計学としては飲食業会計を主にしていきたいと考えている。しかも、岸保会計学という集大成をしていくように、会計とは何かということをきっちり考えていきたい。記録に伴わない会計の可能性を模索する上で、飲食業を事例にしつつ整理しようと思っているが、あることがどうしてもわからず、調べてもあまりたどり着かずで、司書に相談してみた。いろいろと親切に相談に乗ってくれて、調べてみると言ってくれた。調査というのも司書の仕事にあるそうで、ある程度ヒントになるものが出てくればと思っている次第だ。どうも図書館の使い方や情報調査が僕はうまくできていない気がする。それ故にどこかで司書の資格を取り、学ばせてもらおうと思うが、時間が許してくれない。やることの仕掛が増えて、困っているくらいで新たにタスクを増やすのも得策ではない。今回、どのように僕に返事があるのか、楽しみにしている。僕も結構調べたが、なかなかヒットしない。わかるということの難しさなのか。やはり研究には余裕と時間が必要だ。生産性をとことん追うビジネスライクには、研究には向かない。非生産性だからいいのだ。いろんなことを考えつつ、僕は僕なりに牛歩で進めていきたい。研究者のように時間があればいいのだが・・・、暇すぎて僕は時間を浪費するだけかもしれないけど。

 

経験と勘

根源を探る

なかなか自分の心に余裕がない。気になることがあれこれを行動を止めているのか、それとも言い訳なのか・・・。博士論文のことで学術研究はおろそかになっており、せめぎあいが未だ続いている。しかし、区切りがついたという感じを受けたので、そろそろ新しい動きをいうことで申し込みつつも、続いてしまっているので、やることはまた増えてしまう。そんなこんなだが、久しぶりに報告をしようと思い、あれこれ構成をしているが、今、ぶち当たっているキーワード、「経験と勘」。わからないのが、これは誰がはじめたのか、どういうところに言葉の歴史があり、意味があるのかを知りたい。言葉には意味があり、その意味を深く知ることでわかることがある。経験と勘は誰かがいい、それが慣用句として使われているのか。経験とは何か、勘とは何かといったように、2つをわけて捉えるのか、それとも1つとしてみるのか、いろいろ考えてしまう。もう少し探索をしてみることとしよう。少しやる気がでている事案である。ゆっくりと研究したい時がある。でもしたくない時もある。自分勝手そのものだ。

人間の記憶

記憶とは何か

人間の記憶の研究。認知的情報過程がどのようにあるのかということで、古い書籍になるが、読んでみた。なぜ、読んだかというと、記憶を通じて、どのように会計を見るのかということに対して、何か手掛かりがないかと思った次第だ。書籍は3部構成。1)日常記憶、2)作業記憶、3)再認と再生のおける付合化と検索、ということで、僕にとって、1部、2部を重要視して読んでみた。会計学に心理学を取り入れて研究したものもあるが、もう少しこの類の書籍を当たろうと思う。しっくり図式化できる、ポンチが必要だ。記録と記憶。興味深いテーマである。

 

 

論文はいつが終わりなのか

何が何だかわからなくなってきた

あれやこれや論文を手直しをしている。僕も話ではだいたいよさそうだと思い、次の展開をスタートさせており、ほんと困った状況に陥っている。今回、大幅に変更、加筆とし、やりなおしてみた。正直、論文は完ぺきなものは存在せず、100人いれば100通りの答えがある。つまり、あまり構成員を増やせば増やすほど、いろんな意見が混在し、よくないと思っている。研究はやはり孤独であり、自分と指導教官の2人だけでやるべきだろうと思っている。まず困った点は、それぞれ専門領域が異なるので、自分の得意技に持ち込もうとすることだ。僕自身も意図しないことを入れる意味がわからないなど、不審が募る。これはこれで別の分野ならいいんだろうが、これはいらないだろうってのもある。まあ言っても仕方ないが・・・。そろそろエンドにしたいものだ。何が自説で何が他説なのかもわからなくなるときがある。かなりの文献をあたっているが、さらにそれに追加するとなると、自分自身にも迷いがでるものだ。解放されたい一心である、ほんと疲れ果ててしまっている。論文はやはり難しい。

参議院選挙

広島で見たのは驚いた

今回の選挙。個人的に興味があるのは、れいわ新選組がどこまで票を獲得できるのかというところ。その一つとして、東京選挙区に現役の創価学会員が立候補したが、公明党を固める創価学会の票はどう動くのだろうかという点。権力を持つ公明党、それすがる方がいいのか、それとも宗教の信仰を是とするのか、人間の心のありようがためされている。ここのお宅、創価学会員だとうけど、比例はれいわに入れるという意思表示だと思うが、どれだけ浸透するのだろうかと思っている。政治団体であるが故、テレビなども限られているので、なかなか大衆には届きにくいが、ネットではすごいらしい。ただそれが投票に結びつくのかどうかはわからないが、どこまで行くのかなと。表題に戻すと、広島でこの風景をみたのは驚いた。少しずつ世の中が変わりつつあるのかもしれない。あと1週間、どうなるのかと思うところだ。

農業と税

農業をめぐる税

農業をめぐる税制や税金について、誰か詳しい人いますか?と学者にも聞くことあるが、なかなかいないようである。農業会計はいるものの、やはり農学部や農学研究科などそれに類似する学会や研究科において、農業会計のコマさえないところも多い。僕も長い間、農業会計に携わっているが、現在の理解ではこうだ。①農業会計を教える人がいない、②農業会計はそこまで必要ではない、③改めてその専門家を継承する動きはあるものの、そこまでの熱意ではない。こんなところだ。①は②に起因する、③は少人数が言っているが、科目設定もされない大学をみると、そこまでの必要性を感じていないんだろうと思う。たまたま、僕もニッチなところに足を踏み入れた感はあるが、年々、農業会計研究は脆弱になってきている気がする。世の中に必要と強く思われない以上、その傾向は続くだろう。農業会計をやっていると、農業税務にも隣接分野なので、もう少し勉強をと思うが、さらにこの分野は脆弱である。もし骨太な農業経営を目指すのであれば、この分野の啓蒙は必要と思うが、大学と実務に差があるのかもしれない。一過性のブームで、学部を再編したり、新設するのではなく、もう少し専門性を高めることも必要ではないか。僕の農業会計研究もそろそろ終焉を迎えて、次のことへと思うが、少しは農業税務も見ておきたいと思うことは多々ある。それにしても、僕の人生は王道ではない。王道からそれてしまっているから、人以上に悩みが多い。農業会計にしろ、農業税務にしろ、日の目を見ることはあるんだろうか?最近、税務から見ると会計がわかるのではないかと思うことはしばしば。これはたぶん農業だけではないが・・・・。研究をする時間と心の余裕が欲しい。

 

著者 : 渡辺基成
三協法規出版
発売日 : 2009-05-30

廃案から学ぶ

税法からのアプローチも必要かも知れぬ

平成4年まで実施されていたみなし法人課税。だいぶ昔に買っていた書籍を読んでみた。結論から言うと、立法の背景から廃止に至るまで、税制の動きがよくわかった。だいぶ昔、小規模企業税制について、まとめたことがあるが、会計においても納税の強制という観点から多大なる影響を及ぼしている。それ故に、税と会計、税務会計になるのかとも思うが、角度を変えてみるのも必要かも知れぬ。P18,19に農業法人問題が書いてある。法人化と租税回避のテーマの一部であるが、昭和32年に徳島県のミカン農家の法人化による租税回避のことが述べているが、そこには農地の問題から、課税当局が認めてなかったということもあり、訴訟事件までなっている事案のようだ。地域維持での法人化を集落営農法人でなされるが、こういう事案もあるんだなと改めてなまんだものだ。廃案を少し辿るのはいいかもしれない。それなりに立法の形成には鯨飲と結果がある。議論された内容と言葉には意味がある。ちょっと研究熱に火がつくかもしれない。

 

消費税は上がる

待ったなし!増税へ

先日の老後2000万円の問題とリンクすると思うが、この問題が出たのは必然であったと思っている。この問題は真実。資本主義国家であるから、基本的にすべては自己責任。だから少子化も続き、これから移民をどんどん受け入れる。そして、この国がダメだと思う人は、海外へ移住ってシナリオ。今回のテーマと離れたが、この報告書、消費税増税のための露出と僕は思っている。老後2000万円→厳しい→消費増税→痛みをみんな伴って→老後の足しにといったことを、道筋をつけたように思う。貿易の問題など確かに取り巻く環境はあるにせよ、今、上げないと、先延ばしにしても何も変わらないというロジックで、増税。今回、消費増税はすべきではないと個人的には思うが、増税はする。今回は2%上げますよって話だけではなく、軽減税率という新しい考え方をいれた消費税の法律を変えていく。そう考えると、準備を含め、やめるには遅すぎる。そう確信を得たので、仕方ないので、軽減税率も勉強しようと思っている。衆参同時選挙はあると思っていたが、なさそうだ。日本という難破船の中に、自分がいるような気がする。お金をかけず、心の満足度を高めていくといった発想かつ、倹約もして生きる。息苦しい世の中になってしまったと思う次第。軽減税率は皆さん、勉強しましょう!