なかなか時間があるようでない
たまには飲もうとか会おうといっても、忙しい毎日の中ではなかなか時間が合わないものである。今回、お会いした方も4月に会おうと思っていたが、調整つかずの6月。時間もあっと言う間にということで、たわいのない話で結局終わる。まあそんなものであるのだが、特に近くに住んでいるとそうなる。どこかでかけると、実現しやすいが、東京タワーの近くに住んでいる人は東京タワーに登らないように、いつでもという感覚があると、近くてと遠い人なのだ。炉端で酒を飲みながら、旧交を深めた夜。
たまには飲もうとか会おうといっても、忙しい毎日の中ではなかなか時間が合わないものである。今回、お会いした方も4月に会おうと思っていたが、調整つかずの6月。時間もあっと言う間にということで、たわいのない話で結局終わる。まあそんなものであるのだが、特に近くに住んでいるとそうなる。どこかでかけると、実現しやすいが、東京タワーの近くに住んでいる人は東京タワーに登らないように、いつでもという感覚があると、近くてと遠い人なのだ。炉端で酒を飲みながら、旧交を深めた夜。
いわゆる老舗と言われるような営業が長い店へ寄るようにしている。今回は呉の利根。50年以上、長く続けているお店。長く続けられるのは何か理由がある。やはり飲食で言えば、うまい、名物があるなど、特徴があるものだ。しかも長く続けられるのは、リピーターとなるお客様も多いわけで、他とは違うものがある。こうしたものを知りたいと今年は強く思い、できるだけそういう店を探しては寄る。機会があれば、旅人として聞いてみる。そんなことをやっていると、やっぱりたまにはこれが食べたいなと思い、時が経つと無性に行きたくなる。そんな雰囲気の中で美味しく頂く。
ラーメンは好きなので、ランチでも食べに行くが、どうも物価高のせい?原材料の見直しがあるのかもしれないが、「味」がと思うことが多い。それは特定の店を指しているわけではなく、麺にしろ、スープ、具材・・・。そして割高である。一つ変えれば、味はかわるわけで、「?」と思ってしまう。麺にスープが絡まないとか、これ人工のスープとかまあいろいろ思うわけで、。飲食店も大変なので、あれこれは直接言わないが、外食は「ならでは」というものを食べたいなと思うところ。もうラーメンも高級品であるのだから。
今年は博士が終わったので、かなり余裕が出ると思っていた。博士号を取得するためには、少なくともこれくらいはしないと無理だよねっていうところがわかるわけである。これは一度、そのハードルを越えたからで、これは経験の産物である。なので、苦しいとか言う人いるが、まったくそんなこともなかったし、研究自体が楽しかったのである。そんな時間と空間を過ごしたが、明らかに時間の創出が可能であると踏んでいたが、実際、なんか忙しい。バタバタなのである。忙しい方がいいが、もう少し余裕が欲しいのである・・・。
吉田拓郎さんの名曲、「人生を語らず」。28歳のときに作った曲と聞いたことがある。28歳でこの歌詞でこのメロディ―。すごいものがある。50歳近くなっても、人生とはなんぞやと考えてしまう。長嶋茂雄さんが「野球が人生そのもの」と言われていたが、僕にはそんな答えが出ない。この歌を聴くと、人生を深く考える、まあそういうことが多くなってきた。
とうかさんのことを忘れていて、街中へ。いや~人の多いこと多いこと。カープもあったので、さらに多いのかもしれないが、それでもにぎわいがあるのはいいことである。中学生になる息子も友達同士でとうかさんへ行ったようだ。親といるよりは友達といる方が面白いんだろうし、自分たちで電車やバスにのって遠くへ行くのはいい経験である。祭りに多くの人が集まり、街に力があるのではないかと知る。そう、そういう場所に生まれた幸せをどこかで知ってほしい。広島はいいところである。
人は時間が空きすぎると、会うのが難しくなる。別に喧嘩や仲違いをしているわけでなくても、空白の時間は大きい。何人かは1年に1度、お会いできるように時間を作るようにしている。医者の方とジンギスカンで一杯。何を食べたいですか?と問うと、今回はジンギスカンという。ジンギスカンは麻布十番でジンギスカン慶彦くらいしか行かないので、珍しい機会である。美味しくいただきながら、あれやこれや。談笑。終わってから一人で街中でふらりふらりしていると、いろんな知己と出会う。夜遅くまで飲み過ぎたおかげで次の日はグロッキー。歳のことを考えなさい、自分に戒めを。
ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんがお亡くなりになった。89歳だそうだ。人間の寿命を考えるとお亡くなりになっても仕方ない年齢ではあるが、あまりにも偉大な方だったので、衝撃が大きい。巨人は嫌いだが、長塩茂雄さんは好きだという人は多い。僕のその一人である。やはりファンのことを一番に考えていた人で、どれだけの方を笑顔にしたのだろうか、本当に功績が大きい。選手時代もすごい成績を残され(現役の時に見てみたかった、生まれる前に引退)、申し分のない野球人。こういう方が次にいるのだろうかと思うほど、すごい人である。ご冥福をお祈りします。
今期より学校法人広島国際学院の幹事に就任。企業で言えば、監査役である。非常勤であるが、とても責任の重い仕事であり、監査のお勉強も必要となる。大学が閉校しているので、中学校、高等学校、専門学校の3つになるが、伝統ある学校である。教壇に立ちたかったが、僕がこれは望まれいないのかなとあたらめて認識する。若い子と触れ合っていくことは自分にとっても刺激あるし、やりがいもある。少しだけかかわれれば、十分であるが、なかなか思うようにはならない。監査の仕事ははじめてになる。お勉強して、自分を高めたいと思う。少しずつ人生は動き始めている。
何故、年に一度、広島で野球をみんなで観戦するようになったのか、動機は思い出せないが、MBA在籍時からだろうから、これも20年になる。思えば、2008年で終わりを告げた広島市民球場も集まった。大阪で知り合っているから、皆さんは「虎」である。僕はカープだが・・・。人は会わなくなると会えなくなる。こうした機会を持つことはやはり大切なのであると、改めて思う。
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