
懐かしい記憶とともに
熊学の指導教員の佐藤先生より謹呈本が届く。はしがきを読んでみると、入学前に体調の関係で受入れができるかどうかという話とか、まあ諸々の渦中にいたので、あれこれ話をしたり会っていたときのシーンが思い浮かぶ。いろいろあったなあ・・・。先生曰く、「焦り」と「開き直り」は僕の研究を加速させたかもしれないが、もう少し「先」にあるものをまたじっくりと酒を飲みながらでも話そうと思う。この10年くらいで研究者(もどき)から「研究者」として認められる位置までは何とかたどり着きたいと思う。会計の基礎概念に関する知識と理解が足りないという指摘は、今の研究が理論研究の軽視をどうしても感じざるを得ない。

悪知恵が浮かぶ
同僚の誕生日。この前、ディスカウントショップで見つけたえびすさん。大仏がよかったが、思うようなものがなかった。エガチャンネルで、ブリーフ団の結婚祝いに石膏像をプレゼントとしたが、一般家庭に大型の石膏像はいらず、牛宮城へいった動画を思い出し、これだ!とひらめいた。渡してみると、事務所においても家においても怒られるという、仕事上、早速御利益もあった。よかったと思うよ。

写真撮り忘れた・・・
日曜日は落語も一門の舞台で、200名ものお客様に囲まれて落語を。まだ入門したてなので、舞台に上がれるわけもなく。実力もなく・・・、スタッフとして参加。師匠が客席で見なさいということをいっていただき、落語を堪能しましたが、さすが先輩方、上手でした。そしてお客様の反応も上々、いい感じでした。お客様と一緒と言えども、舞台で披露する側になるわけだから、そんな視点でも見ながら、いろいろ考えました。夜は少し呉の街を堪能。おいしくいただきましたとさ、落語の写真がないのが、残念。

これだ!
くだらないことはすぐに思い浮かぶ。僕のファンクラブを作ろうと。落語もはじめて何か交流できるようなものでもあればと思い立ったところ、娘が書いてくれた。ファンクラブと言ってもたいしたことをするわけではないが、こういう遊び心も必要なのである。急に娘も書いてくれて僕に渡してきた。うれしいよね・・・、ばんばん入会を期待しています。こういうのもいいでしょ?

連休明けに
5月に固定資産税と自動車税はくるのはわかっているけれど、住んでいるところは連休明けに届く。連休は皆さん、お金を使い過ぎたと思うことの方が多いのではないか。せめて連休前に届くようにしてくれた方が気持ちの上でも違うのにと思う。妻に言わせると、税金がくることはわかっているんだからお金をよけておけばいいというが、それはわかっていても心理的な問題である。毎年、思うことである。それにしても固定資産税も高くなり、何かと負担が多くなった。老後2000万円とか前は言っていた気がするが、貯蓄どころではないのか、所得から資産へというのも蜃気楼か・・・。税金も全くなしとは言わないが、重税感はあるな・・・、さすがに。

将来を考える
やはり僕はせかせか動いている方が幸せだ。動きながら考える方が。たまに少しの休みはいるが、長期の休みになると、ついついいろんなことを考えてしまい、ああでもない、こうでもない、こうしよう、ああしようとか、過去はこうだった。現在はこうだ、これからはこうしようとか・・・、まあたくさん考える。そうすると、絶望的、悲観的にもなったり、かといって超前向きになることもあるが、歳をとって時間が空きすぎるのもよくない気がする。今年のGWは短い方だったが、それも僕には長く感じたのである。

一度は行ってみたかった
伝統漁法の鯛網をみてみようと鞆の浦へ。GWのあたりに毎年、観光鯛網を見学できることもあり、今年はここへ。基本的にはGWは遠出をせず、県内付近を軽く日帰りというケースが多いが、近いところにも見どころがある。なかなか迫力のあるもので、いい見学ができた。もう400年も前から続くもので、人間の知恵を感じるものである。このシーズンだけ見ることができる。一度は見てほしい、鯛網の芸である。

子どもの人口は減り続ける
子どもの日に合わせて、総務省の公表によると、前年より35万人少ない1366万人となり、44年連続での人口減のようだ。昨今、未婚、子供を作らないなど、社会構造にも変化がある。今の社会情勢なら僕も結婚は選択しないと思う、なぜならばあまりにも不安定な世相にどう考えても責任をとれないからである。一人が安気なところはあるが、それ以上に将来の恐怖の方が大きいと思う。社会から子供の声が聞こえなくなるのはつらいが、それだけ社会基盤が崩れていることを物語っている気がする。

エキサイトしたが、そうなのだ!
何かを一緒にやろうとしたプロジェクトをした場合、やはり役割で優劣がつく。一部仕方ないところはあるが、それがすべてを踏み台にし、誰かが犠牲となる場合がある。一人が名声を得たいがために、誰かが泣く。こういう話は僕は嫌いなのである。そこで少し白熱して怒ってしまったが、まことにそうなのだ。しっかり発言できない人もいる、僕みたいにはっきり言う人もいるが、まあ聞くに堪えない。みんなが幸せになれるように方向づけてあげるのは最低限ではないかと思うが、当事者には見えない。第三者だからわかることなのかもしれない。

こういう時間も持つべきだ
ひょんなことから母とランチになった。いろんなことが急にスケジュールが変わったことで起こり得たのだが、たまには母とランチするのもいいなと感じたものだ。この前、ちょうど新聞で食事を誰かと食べているほうが幸福度が上がると言った記事を読んだ。確かにうまいねとか、塩辛いねと何でもいいけど、話しながら食事をする方が健康的であろう。日常のあれこれなども話すこともあったり、少しはふっと心の急速になろうし・・・。母とご飯を食べる機会が極めて少ないので、強制的でも食事をする時間を持つのもどうかと思いだした。あと何回、こうして食事ができるのかと考えれば、なおさらである。