日常

経済負担、そして少子化

少子化への加速

こんな記事を読んだ。内容は子供2人目は現実的に無理。子供が欲しいが、経済負担が大きな理由とのこと。少し前に「子育て罰」という言葉が流行ったが、まさしく子育て世代の僕にもそういう言葉がわからなくはない。物価高で支出も増加し、皆さんどうやって生活しているのか、ほんと不思議である。モノは手に入れないかもしれないが、巷にはあふれており、欲しくなるようなものも多いが、とても手が出せない。スーパーの見切れ品も食品ロスの問題もあるにしても、これを狙って買い求めるお客さんも見える。子育て世代だけではないが、やはり生活苦は現前にある。2人目が無理ということになれば、横ばいは人口減少である。ただでさえ結婚しない人が増える中、夢も与えられない世の中。今日、投開票でどういう結果になるかはわからないが、少子化に対しては足りていないと思う。子育ては楽しいばかりではないが,人間的な成長は間違いなく促すと思うし、再学習もさせてくれる。何より幸せと思うのだが・・・。そんな平凡な生活も担保できなっているこの国、日本。今回の選挙戦のあとは、子育て支援ももう少し考えてほしいものである。

こだわりを捨てろ!

執着が仇になる

こだわりが強すぎる、物事に執着をするといったことは時にはいいが、度が過ぎるとマイナスになるような気がしてならない。変化に対応できるのかという観点である。どうしても自分の得意技にある強い方に力点を置きがちだが、それにとらわれてばかりではやはり前に進めないのではないか。過去、こうだったという経験も邪魔になることもあったりと。柔軟に物事に対処しないと思うところだ。あれもしたい、これもしたいとも思うし、プライドある領域もあるが、いったんリセットして考えてみる。これできるようで出来ないが、もう少しと思うアクセルを踏むことによって、事故を生み出すこともあるのではと感じる。まあどちらに進むも決断であるが・・・・。

志望は公務員です

現実路線なのか

だんだん社会が悪くなってきている。選挙中であるが、快方への見通しというか、それを予見はしないのが実情である。なので、安定路線をという話であれば、公務員であったり大手企業であったりという就職をした方が無難である。そんなことを考えると、夢も希望もない。でも現実的なのか。金利があがり、普通に持ち家を持てなくなる。借家でもいい、借りた方がいいというのもいいが、つまるところ、一部の人間だけが富を享受できるということなのか。殊更、世の中が悪くなってくるとこのような話が多い。子供たちに夢を与えて育てられるのかと思うが、周りの声をそれをかき消すほどのような気もする。そんなことを思いながら未来を憂う。

続けることで見えるものはあるのではないか

作品を通じて学ぶ

もう4年になるだろうか。息子が陶芸をやりたいといって、学ばせていただいている。あまりにも陶芸作品が家に増えるので、頻度は減ったが、それでも続いている。当初は息子だけであったが、娘もしたいという。今や娘の方が必死にやっているように思うが、継続は力なりである。そもそも陶芸家を知っている親も少ないぞと子供らにも言うが、まったく言ってもわからないようだ。とかく陶芸にしかり、芸術に触れることはいいことであるし、もっと真剣に真摯に向き合うといいと思うのだ。学校では教えてくれないことを学ぶことの重要さを感じてほしいと思う親心。

「もうダメ」だの向こう側

言いすぎるのもよくないとわかっているが・・・

中学生になる長男とは衝突する。何かと理屈をこねる。僕もその口だが、長男の将来を憂う。母親も甘い。自分で危機感を抱き、向上心を持たないといけない。難関高校、難関大学へ行くことが成功ではないが、選択肢は広がるのは確かである。なので、ひとまず学校のことはしっかりやる。別に学校に行きたくなければそうすればいいが、行くのなら誰にも言わさない結果を求める。何故かすぐに物事をあきらめる。もうダメだの向こうにまた「ダメ」がある。でもそれを乗り越える。この繰り返しである。自分の人生は後悔だらけである。だから同じ轍は踏ませたくないが、同じように進んでいる気もする。しかし僕はもう少し勉強をしていたとは思う。ハングリー精神を持てないのは親が与え過ぎたという僕の責任である。渇望する状況で現状を打破しないと次はない。だから歯を食いしばってほしいものだ。やはり夢、なりたい自分をみつけることだ。軌道修正してもいいが、ひとまずそれに向けて頑張る。学ぶ環境があることは幸せなことである。僕はまだ勉強している。まだ人には追い付かないからである。若い頃のマイナスはまだプラスにならないのだ。つらい、しんどいと思っても、頑張っているやつがいる。出来る奴がいる。そいつらも努力している。だから2倍、3倍やらないと追いつけもしない、追い抜けもしない。自分を律して戦え!息子に言いながら自分にも戒めながら、子育ても深く悩む。

ずぼらな人の対処法

困ったものです

期限のある仕事をしているので、タイムスケジュールにはかなりうるさい方だと思う。日頃からコツコツやっていればそうでもないのに、つい後回し。こういうパターンの人は仕事が出来ない人である。言い訳の仕方にはなれるのかもしれないが、駆け込み寺タイプは何を主張してもダメ。他の論点にしようするが、ここからは逃げられないのに、突くと痛いのだろう。やっぱりダメな人というレッテルになる。会計の仕事をしているとよくわかるものである。もう大人なんだから子供のようなことは言わせないでと思うが、このパターンの方は非常に多い。だからといって僕が優れているというわけではないが、先延ばしがよくないのである。すぐやるという心構えから習慣を変えるのである。

図書館でのこと

頑張る姿

大学の図書館はよく活用をさせていただいている。論文書いたりとまだまだやること山積みで、あれも知らない、これも知らないと、「無知の知」を感じざるを得ない。大学の図書館にいると、若い人が勉強している。遊びたいだろうなと思いながら、おじさんも負けてられないと思い、刺激をもらう。しかし、大学も偏差値に反映するのだろう。偏差値の高い学校は多くの学生が図書館で勉強をしている。逆に低い学校はまず学生がいない。この前は一人いたけど、ゲームをしていた。迷惑千万、注意しようと思ったが、アホらしくなってやめた。こうやって「差」が出てくるんだろうと感じる。できれば僕も楽をしたいと思うが、そんな簡単に人生幾くらいなら努力はしないのである。頑張った自分だけが助けてくれる。人任せではいけない。自分の子どもにも伝わればいいなと思うが、やはりゲームなど楽な道に逃げる。可能性を芽をつんではならないと思うのだが・・・・。年取ってからではなく、今、気づいてほしい。図書館にいるといろんなことを思う。

高収入の職業

大学教授は稼げる?

高収入ランキングを見ると、1位:航空機操縦士、2位:医師、3位:大学教授、4位:大学准教授、5位:弁護士だそうで、トップ5の中に大学の先生は2個もランクインしている。実際、恵まれた職業ではあると思う。時間の自由度は高い方だし、収入も高い。研究費も出て、長期休みもあるなど、他の職業と比べてもそう思う。しかし、大学の先生はぶーぶー言う人もいるが、他を知らないだけである。社会的地位も高いし、基本頭を下げる仕事ではない。そうしたことから僕も転職をと思わなくもないが、この歳になると65歳定年といわれると、75歳まで現役とすれば、10年間の社会人としては余暇を楽しむことになるが、それでは困る。お金の面、生きがいの面、もうこの歳であれば、マイナスである。少しだけ大学にはかかわるという程度が好ましいと思うものである。大学の業界も厳しくなり、閉校は進む。頭でっかちのインテリの未来は明るいのかと思うが、今それでもいい職業であることは否定できないのだ。昔、こんな本も流行ったものだ。

 

 

 

出来ない自分と向き合う

現実を受け止めるしかない

思った以上に自分の子どもの学力がない。僕の想定するレベルのかなり下に位置しており、相当悩む。本人も危機感がない。母親は教育熱心な方ではないので、善後策もない。自分だけがイライラしてしまい、言う気も失せるほどである。元来、自分の子どもは親が教育できないので、他人に任せる。つまり、よい環境を与えるというのが親の務めと考えるが、何分、本人にやる気がない、人より相当劣っているという危機感もない、楽天的な生活を好むことから、ただ親子関係、夫婦関係が悪くなるだけである。結局、大人になると自分で責任を取ることになるが、わかっていてそれに対処できない僕のジレンマは相当なものである。教育にも携わると、よくわかるのだが、親だからだろう。子供は僕を尊敬(尊敬までしなくていいが)はしていない。教育がきちんとできていないのだと感じざるを得ない。一定の時期までは詰め込み教育、ドリル的な勉強もやっぱり必要で、それを排したら応用もないのである。家にいることが苦痛である。甘やかし(僕も含めてだが)て育っているから、それを受け止める「心」がない。自分に学力や能力が人より相当劣っており、人の2倍3倍、頑張らないといけないと奮起してほしいが、気づくのはだいぶ先かもしれない。その時はもう僕は生きていないだろう。

気になるお店

特徴とリピート

毎週、岡山の行き来が始まり、ここへ立ち寄ってみた。どうやらTSSのそうだったのカンパニーにも出ている会社のようだが、このサンドイッチを目掛けてドライブ。分厚い卵焼きがサンドされ、ほんとにうまい。家族にも大好評であった。普通にある卵焼きであるが、やはり厳選したたまごを使い、見た目もいいので、手が伸びる、価格も見ていない。これなんだろうなと思う。また近くに寄れば、リピートしようと思うってことは、ファンが出来たということか。一度、食べてみてほしい商品。ご賞味あれ。