あの頃に戻る
神保町で本を買って、喫茶へ行く。そして1杯の珈琲とともに時間を過ごす。こんな贅沢な時間を20代に享受していたが、久しぶりに寄りたくなってよった「さぼうる」。はまる人も多いのではないかと思う。あの頃と変わらず、レトロな喫茶店であるが、1時間ばかりだが文庫本を読んで過ごした。孤独な時間でもあったが、やはり贅沢で素敵な時間を若い頃に過ごさせてもらったんだと思う、ありがたいよね。珈琲がやはり美味い!もう二度と帰れない若い頃の記憶とともに、やわらかい時間が過ぎた。
神保町で本を買って、喫茶へ行く。そして1杯の珈琲とともに時間を過ごす。こんな贅沢な時間を20代に享受していたが、久しぶりに寄りたくなってよった「さぼうる」。はまる人も多いのではないかと思う。あの頃と変わらず、レトロな喫茶店であるが、1時間ばかりだが文庫本を読んで過ごした。孤独な時間でもあったが、やはり贅沢で素敵な時間を若い頃に過ごさせてもらったんだと思う、ありがたいよね。珈琲がやはり美味い!もう二度と帰れない若い頃の記憶とともに、やわらかい時間が過ぎた。
映画監督の沖正文氏の前の作品である「みんな笑え」を視聴した。僕が落語をやり始めたこともあり、落語の映画があるよって薦めてくださった。一言で「引き込まれた、面白かった」。それぞれのキャストの人間模様の交錯と生き様が見事に描かれており、考えさせられるものであった。夢を追うことは反作用として、苦しみやつらさもある。それは高くジャンプアップして生きようとすると、アゲインストの風は吹くからである。しかし、飛行機もアゲインストの風があって、高く飛ぶのであって、これは困難とは違うのである。そんなこんなで人の出会いから新しいものをみた。素晴らしかった。是非、視聴していただきたい。
どうも自分のすることに自信がなくなってきた。これ忘れているというのが多くなってきており、少しやばいかもと思う。車のカギをなくしたり、買っておいたと思うお菓子をもう食べたと言われたり(自分で食べたそうだ)、どうも初老の認知症かも思うもの。脳のオーバーワークというのもあるかもしれないが、50歳手前、やはりいろいろ出てくるのだろうか。身体は元気である。この前の万博で測定した25年後の自分を図った際も、今は43歳で計測された。6歳若いのである。ただ気を付けないといけないのだろうと思うもので、記憶が定かでないと思うことが出てきているのが気になる。
今度、上映予定の「やがて海になる」の映画監督、沖正文氏と一杯。年齢も1個上で程よく近い。ひょんなことからお付き合いができて、とんとん拍子で一杯。いい酒でしたね。いろんな話をさせていただいて、やはり苦労して映画を作ってきたんだなと感じることもしばしば。そもそも業種も違うし、そう会うことがない仕事の人なので、新鮮で新鮮で。9月の映画が楽しみで楽しみで。どのような話なので、期待をして待つことにしましょう。いい夜でしたよ。
何故、自分がこのように時間に余裕がなくなってきているのかという問いの答えとして、先延ばしにされたタスクがある。これは一つの要因であるが、毎日、いろんなことがおこるわけだから、そのタスクをすぐに片付ける。できるだけ先送りにせず、対応する。それを僕はできるだけしているが、他がそうしてくれない。他者が存在し、相手を待つことがある案件であると、一定程度でそれがリターンがあると、解決していくのだが、それがずっとほったらかし、その人がめんどくさがってやらない場合だと、それが溜まっていく。段取りよくやりたいので、スケジュールをたてるが、それが壊される。そしていらいらする。出来る人はすぐにこなす。これ出来る人と出来ない人の「差」。出来ない人が僕の周りは多すぎて、ほんと自分にのしかかってくる。これ何とかならないかなと思うのだが・・・、愚痴である。
下半期に突入して、上半期をまとめるために半年ぶりとか連絡をすることが多くなる。もちろん仕事。何か連絡をすると、皆さん一様に忙しそうである。人員不足で忙しいのか、業務がそもそも忙しいのか、暑いから仕事が効率悪いのか、理由はわからないが、暇そうな人がいない。僕もそうはいっても忙しい。どうも仕事のスピードが遅いのである。たぶん。それとやることを増やし過ぎたのもある。これは前にも書いたけど・・・。他の人はそれぞれに理由があろうが、車輪に油を差して、効率よく回す。さびたら車輪はまわらなくなるのである。ペースメーカーというのは大事であり、これは日ごろの習慣である。眠い目をこすり、1分遅くまでやる。あるいは1分早く起きてやる。やはりコツコツなのである。自分にも言い聞かせながら・・・。
農家さんとの雑談の際に、結婚の話題になった。若い人が結婚したという話であるが、出会いは「マッチングアプリ」だそうだ。世の中も変わったものだという話の中で、事前にマッチングアプリだと個人情報がわかるそうだ。年収や家柄、学歴、職歴などがわかり、安心材料が増えるそうだ。昔は2人いれば、飯は食えるというようなことも言われたが、今の世の中、そんなに甘くない。2人で泥沼にということも十分にありうる。上昇気流の日本ではないのであり、明らかに下降線は間違いないのである。その文脈から結婚の是非を考えると、たぶん今ならしない方がいい気がする。今なら僕もしない。先が見えないからであり、背負うだけの度量があるかどうか言えば、YESと力強くは言えないのである。貧困化した日本にあって、マッチングアプリの話からいろんな話が出たが、普通の幸せを普通に享受できないものかと思うものである。
ご縁をいただいた沖監督からメールが届き、コラム読んでくださいねという便り。中国新聞を購読していないので、購読している人に取っていただいて、漸く読めた。母の死、広島のこと、強度に対する思い、自身の結婚・・・・。いいコラムだったな。新聞ってはやり情報のデパートであるが、関心がないとしっかり読んでいない記事も多い。もし中国新聞を購読していても、読み飛ばしている可能性もある。こうしたご縁から映画を知る。年齢も1つしか違わないのかとも思いながら、今週の再会を楽しみにしたい。
僕が死ぬまでに時間をかけて積み上げて達成したいことがあり、これはこの春から始めている。このことは誰にも言っていないことだが、時間をかけてやりきりたいと思う。こういう類が何個も僕の中にあって、これもしておきたい、あれもしておきたいと思うことがある。これは生が有限であることもあるし、過去への内省である。若い頃にもう少しやっておけばよかったのだ。そういう後悔ともう戻れない時間を公開するのではなく、明るい未来を創造するように動き出すしかないのだろうと思うのである。
それにしても長い休みである。走馬灯のように流れた時間であったが、思うように時間を有効活用できなかった。ほとんど自分でコントロールできた時間構成で動けなかったし、何分にも暑い。これは意欲を減退させる。長期休みになると、SNS で楽しそうな姿を拝見する。それぞれに思い出の休みなのか、それとも働いている人もいるのだろうし、さまざまであろう。人は人、そう思いつつ、やはりうらやましいと思うこともある。まあSNS自体が基本的に「楽しい」ことが中心となるので、当たり前かと思う。人は人、明日から仕事か・・・・。
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