一番下の娘の誕生日
1歳の誕生日おめでとう!まあ産婦人科で人生初の骨折を経験させてもらって、印象的な出産だった。もうすぐ歩けるような感じだし、歯も少しずつ生えてきた。そして、いろんなものが食べられるようになってきて、順調に成長している。子供が3人と言えば、結構驚かれる。やはり一般的には2人が標準なんだろうが、僕は一人分、多く幸せをもらっていると思って育てています。ほんと義理の母にそっくりだなといつも思うわ。まあできる限りのことはやっていくけど、なかなか目が届かないところもあって、自然成長もしていかないといけないところはあるので、申し訳ない。早く大きくなって、いろんなことを一緒にやれるといいなと思う今日の雑感。
| クロスメディア・パブリッシング(インプレス) 発売日 : 2010-07-13 |
弱小と郷土
在京時、そして広島に帰ってきてからほんとカープによく行った。全国津々浦々である。独身であったのはかなり大きかった。とかくカープは弱かった。ひどかった。とてもプロ野球を見てる感じではなかったが、すごく楽しい時間だった。今は忙しくなって野球どころではなくなったので、そう見に行くことはないが、年に1度こうして忘年会がある。去年は、子供が生まれる時期だったので、参加できなかったけど、昔話に花を咲かせました。昔と違って、カープも全国区の人気球団になってしまって、仲のいい応援団は全国放送のドキュメンタリ-になるなど、全く環境は変わった。今年は25年ぶりの優勝でやはりうれしい飲み会になったのは言うまでもない。たまには、ビジネス話がないのも素晴らしいことだ。やはりみんな歳をひろったわ。
| 著者 : ベースボールマガジン社 発売日 : 2015-03-25 |
30代も終わった。40代の始まり
不惑ともいわれる40歳になりました。30代の振り返りはこの前したので、これからの展望というか抱負というものを記録しておきたい。先日、大学院時代に御教授いただいた島先生とお会いした。その時にお話しした時に、会った頃の話になった。広島⇔大阪の週末生活で通っていたため、大きなカバンを持っていた。その時に29歳の僕は、「何が入っているか」と聞いたら、「このカバンには夢が入っています」と答えたらしい。おぼろげながら思い出した。安いふぐ屋の居酒屋で飲んだときの話。ほんとわけもわからず、ビジネススク-ルに飛び込んで、自分だけ理解していないのではないかと恐怖感を覚えたときである。その時のことをフラッシュバックした。気づいたのは、粗削りだったが、夢を持っていたことだ。少なくとも前向きであったように思う。10年経って、保守的になっているのはわかるし、感覚もかわった。でも何となく未知なる自分の出会い、昨日と違う自分に出会うことに楽しみだったのかもしれない。確かに苦しかったけど、それでも何かを掴もうとしていたことだけは間違いなかった。そんなことをつい先日、話をしていて、思い出した。40代はやることも変わってくるだろう。意識も変わる。周りも変わる。しかし、自分の持つ「基準」を確かに進んでいこうと思う。3児の父としても、40歳の男としても、これから活躍していきたい。ひと花咲かせたいと思っている。今後ともよろしくお願いいたします。
| デアゴスティーニ・ジャパン 発売日 : 2009-12-04 |
tuta
初めての子供は手をかけている
またしても5年前の写真。生まれて2週間くらい経ってからの写真である。あれからあれよあれよで二人増えたわけだが、最初の子供だから手さぐりにいろんな手をかけている気がする。決して後の子と区別している気はないが、目がどうしても一子目にいっているように思う。間違いない事実として、長男は最初に生まれてきており、その前がいない。長女、次女は生まれてきたときから、長男がいたわけである。これを嫁に聞いてから、意識して、長男に力を注いでいる気がする。環境が違うという現実だけである。すぐに時間が経つものだ。それはそうだ、明日で自分も40歳になってしまう。写真は思い出を語れる。動画はとってもあまり見ない。写真は物語れる気がする。
| KADOKAWA/中経出版 発売日 : 2015-08-27 |
とうとう終わる30代
冷静に自分の30代を振り返ってみる。30代でよかったことはたった一つ。家族ができたことだ。妻、そして子供3人にも恵まれた。このことだけはどう考えてもよかった出来事である。あと考えてみても、何かあったのかといえば、いろいろあったけれども、そう際立つものはない。僕は振り返りたい「過去」というものがない。だから同窓会とかいった類は全く縁がない。同窓会とかに参加できる人はやはり「過去」にいい出来事を経験した人である。僕には皆目そうした記憶がない。できれば、関わりたくないものである。だから、過去は苦しい、しんどい、つらい、そんな思いばかりがフィードバックする。30代は何とか勝ちたいと思っていた。人なみに追いつくこと、そして追い越えること。負けっぱなしを払拭したい一心で生きていたように思う。だけどもかなわなかった。人生は勝ち負けではない。それでも帰る「過去」さえない自分の生きざまは、線として存在しないし、面としても存在しない。点がないのだから。そんな30代を過ごした気がする。大学院にも行った。選挙にも挑戦した。会社も興した。いろいろやった。でも満足や充実はない。やはり成功体験がモノを言う。成功をしたい、切実なる思いでいる。30代の棚卸は、こんな雑感である。ちょっと書いたくらいで収まるものではない。40代の所信表明はまた別の段に譲るが、30代とは違う自分を見つけないといけない。考え方を大きく変えていかないと、幸せになれない気がする。家族を持ってよかったと思うことはしばしばある。それでも、楽しい自分で発信していかないと、人は幸せにできない。残り2日の30代の途中に記録にとどめておきたい。
与えながら一緒に学習
年少からZ会の通信教育を息子は継続している。僕がサンプルを取り寄せてから、自身がやってみたいという意向から続けているが、内容は非常によくできており、ステップバイステップで形を変えながら、同じような問題から少しずつ発展させた新問題を組み合わせて、構成されている。季節感もあり、その時々のタスクも十二分に取り込んでいる内容。僕からすれば申し分ない。年中後半になったが、少しずつ難しくなってきているが、自分で読んで理解し、問題を解いていけるようになったので、与えていくことで学べる。そして帆走してあげる。こんな子育てもやっている。できるだけいろんなものに触れさせるようにしている。すくすく素直にこれからも育って行ってほしい。楽しく学ぶことができるのが一番いい。
思いつきで行動
いい天気だったので、どこかお出かけをと思って、家族で岩国へ行ってきました。2年ぶりに家族で行きました。11月が僕自身が忙しかったのもありましたが、それ以上に子供の風邪が続き、家から出られない現実がありました。日帰りの観光気分で錦帯橋へ。ちょうど芸術祭をやっていて、金曜日から日曜日まで錦帯橋の篝火をみることができました(毎年、この時期になっているみたい)。こうした近場にも素晴らしいところはたくさんあって、ちょっとした気分転換にもなります。岩国寿司、ロ-プウェイ、岩国城、錦帯橋温泉。家族時間はやっぱり最高です。
| 著者 : ジャパンインターナショナル総合研究所 発売日 : 2011-10 |
久々に結集
2,3か月のスパンで、会計や法律など、いわゆるお堅い仕事の人と集まる。とはいっても、気心しれている人ばかりであるので、気を使って飲むことはない。プロジェクトがあれば、かなりの頻度で会うが、僕らの飲みは印象的らしい。4,5年前はかなりやんちゃな飲み方をしていた。面白いもので遊ぶ時はとことん、仕事のときはぐわっと集中できる。すさまじいパワ-がここにはあるように思う。情報共有もでき、かなり楽しい時間であった。勢いがついたときにはカラオケをしにいく。その時にラストソングは「あの素晴らしい愛をもう一度」をみんなで合唱して終わる。いわゆる母校好きな方が歌う校歌みたいものであろうか?今日はいささかお疲れ気味である。しかし、やることも山積みだからやるしかないけれども。
子供の成長を感じる
息子が通う幼稚園の作品展に出かけました。年中になってからの絵画や工作など、力作ぞろいを満喫しました。年少のときから比べるとかなりグレ-トアップ。他の園児のものもみましたが、1年違うだけが全然違うなと痛感しました。息子の絵、この絵はテーマがあってのものなので、ニュアンスが異なりますが、自由なテーマのものをみると、「何が伝えたいのかがはっきりとわかる」というのが、よくわかりました。それで第三者にも明確なんだなと思いました。しかし、息子は絵は上手だと思います。何か毎日、家でも書いてます。一芸に秀でる、そうあってもらいたい。それはどんなものでもいい。今日の作品展もいい思い出になりました。
ご仏前と再会
政策学校の一新塾で同じく勉強をさせていただいた土屋さんが夏に亡くなられて、ようやく線香をあげることができた。もう政策学校を卒業して、約10年になろうか、今は開講されていない福岡でご一緒させていただいた。何かと気にかけてくださってた方で、早く亡くして惜しい人であったし、志の熱い人だった。通夜、葬式といけなかったので、どうしても行っておきたくて、当時一緒していた仲間に連絡したら、何人も行きたいと同行できた。長い時間のスキマを埋めるように、いろんな話をした。土屋さんが亡くなってから、場ができるというのもなんだが、なかなか会えなくなってくるものである。土屋さんがいれば、もっと熱い話になっただろう。生前、FBで散歩されていたところが投稿されていた。少し歩いてみた。都城の町がきれいに見えた。一新塾で出会えたこと、ほんとよかったと思っています。土屋さんに、みんなで「献杯」して別れましたが、これからも天国で見守ってください。本当にありがとうございました。