スキマ

東京の遺産

2017年最初の忘年会

今年は、足の骨折でなかなか動くのに一苦労だ。移動もそうだが、お酒を飲むと足がむくむ。動きにくいし、酔いすぎて歩くのが今以上にままならなかったら、ほんと困る。それはさておき、今年もとりきん佐藤で、カープの観戦中間と忘年会。在京時からなので、非常に長く続いている。僕は昔ほど野球に行かなくなった。忙しくなったのもあるが、それ以上に昔の広島市民球場がなくなってしまい、今のマツダスタジアムになって急速に冷めてしまった。そんなこんなで行かなくなったが、昔のまま、年に一度集まる。みんな独身であった(今も独身もいるが)が、結婚して家庭を持ったりと、各々変わっていった。昔の「あの時・あの場所」にもう戻れないが、少しだけ昔を思い出しながら、いい時間を過ごすことができました。また来年、元気でお会いしたいと思う。

41回目の誕生日の談話

42年目のスタ-ト

独身時代の写真で、今よりもスマ-トな感じから。たくさんの方々からお祝いを頂戴しまして、感謝いたします。ありがとうございます。まずは丈夫に産んでくれた母親に感謝します。誕生日はそもそも産まれた人ではなく、母親に感謝をする日であると思っております。僕も3人の子供に恵まれましたが、すべて立ち会うことができ、妻と時を一緒にしました。大変なイベントです。今年は出産を軽視するようなことが僕に向けて起こったため、かなり激怒しました。地位の高い人でしたが、絶対に許すことのできないことで、思い出すだけで今でも怒りの感情は消えません。勉強だけできてもダメです。人としての成長がないんです。60歳もその方は過ぎていますが・・・・。まあそれはそれとして。今年の回顧はまた年末にするとしても、今年は下半期あたりからかなり動いてきたなという感じで過ごしています。多方面に活躍の場を頂いているなと思うわけです。その期待に応えられるように頑張っていかなければなりません。42年目は、少しだけ明るくなってくるんじゃないかと思っております。厄年のせいか、2年ぶりの骨折中で、なかなか不都合な生活を強いられています。明日から12月でまたドタバタとするわけですが、もっと社会に貢献できる人間にならないといけないと思います。いつもありがとうございます。

納会を兼ねて

人里を離れて

弊社も決算を終えたので、今年度の締めと来期に向けた懇親をやりました。今回は、泊りがけで。すき焼きをほおばりながら、各自好きな酒を片手に舌鼓。非常に楽しかった。近くの温泉に入り、大方、7時間くらいずっと飲んで、語り合って。今まではどこかのお店で一杯という感じだったけど、こういうのもいいなと。暖炉をたいて、楽しい時間はあっという間。リフレッシュできました。これからはコミュニティ-をどう作るのか、すごく大切。そういう「場」と「仲間」に囲まれた時間と空間を共有したい。さあまた頑張れる。

名誉の負傷

2年ぶり2度目。やっちまった

あまりにも寒い露天商での日曜日。体が冷え切って、風呂にでも入ろうということで、スーパ-銭湯に行ったが、そこで階段を踏み外してしまい、はく離骨折をしてしまった。思えば、次女は生まれた際も、深夜の病院で踏み外して生まれてはじめて骨折したが、ちょっと違う場所だが、今回の方がよくない。予定はすし詰めで痛いと思ったが、沖縄からお客様もお見えになっていたため、飲みにもでたが、本当は安静がいいのでしょう。ちちょっと不自由だけど、仕方ない。早く直したいものだ。

 

ビジネススク-ルの量と質

日本のビジネススク-ル再考

今日の日経新聞に気になる記事を見かけた。日本のビジネススク-ルは、アメリカなど諸外国の国際水準と比べて、引き離されているという。単位数や時間、人的ネットワークなど。社会的評価も違うという点。一応、僕も日本のビジネススク-ルの修了生であるが、記事にあるように、「嫌になるほど勉強した」というほどではない。確かに勉強はしたが、そこまで胸を張れるほどではないと思う。ただ今まで知らなかった知識の習得やッ物事の思考など学ぶ点も多かったのは事実。それでもその時の自分は、自分を変えたかったというのが強く、環境の変化を求めていた。今のビジネススク-ルはどうなんだろう?離れて11,12年経過する。ストレ-トマスタ-も増えていると聞くし、志願者充足のために留学生も増えているとも聞く。今、どうなっているのかはよく知らないが、ビジネススク-ルの量と質の充実は絶対必要と思う。なかなか勉強ができるときもあるようでない。遅すぎることはない、ひとまずやってみよう!というところであろうか?

 

秋の紅葉

赤いもみじを見ながら

息子が紅葉をみたいということで、少し足を延ばして帝釈峡へ行ってきました。写真のところは見事な紅葉ですが、全体的にはもう少しかなというところでした。しかし、遊覧船に乗り、ゆったりとした気分で自然を見つめながら、紅葉を楽しむことができました。帝釈峡は庄原市と神石高原町の境界にありますが、僕の住まいから車で2時間くらいで行くことができます。広島は山や海に恵まれ、ほんといいところだなとよく思います。昔はあれだけ都会にあこがれていましたが、気張ることもなくちょうどいいのが広島かなと。今週も見に行きたいところではありますが、予定もすし詰め。今年の紅葉の映像を焼き付けて、冬支度をしたいと思います。

行きたかった2つの場所

東京の滞在の間

上京した際に、必ず時間を作っていこうと思ったところにようやく行けました。一つは、早稲田にできた漱石山房記念館、もう一つは乃木坂の国立美術館で開催している安藤忠雄展。前者は漱石の没後150年ということで、作られた漱石初の記念館となる。あまり大きくはないが、生涯を俯瞰できる内容となっており、これからの漱石を伝承していく際に、十分な貢献が期待される。今年、9月に開館したばかりの記念館である。後者は建築家の安藤忠雄を作品を物語にした展示。僕自身好きな建築家であり、自然との共生をうまく取り入れている。花を植えていく活動など、共感できることも多い。そんな2つの場所、手軽にいつも行ければいいのだが、東京へ行くのも近いようで遠い。その点、東京にいればと思う時もある。しかし、ほんと東京にいると、疲れてしまう。もう田舎の生活にどっぷりとつかっている。漱石山房記念館はいつでもあるが、安藤忠雄展は、12月18日まで。是非、一度行ってほしい場所である。

 

僕にとっての一新塾

セルフチェック-未分化の中の「私」-

政策学校一新塾というところがある。今や5000人以上の卒業生を輩出し、各方面でその卒業生、現役生が活躍している。僕も24期、もう10年前になるだろうか、通わさせていただいた。今でも1年に一度くらい東京の教室へ寄って、自分自身を振り返るというか、そういったセルフチェックをしている。僕にとってはかけがえのない学校だ。学校は最初は塾だった。学校も今や分岐点に来ている気がする。僕にとって唯一の母校と言える学校かもしれない。それだけ自分自身が生きる上で大切。こうした学校に通えたことは誇りである。僕もまた頑張れる。激動の10年だったかもしれない。

 

追悼

さらば、アニキ!本当にありがとうございました。

大変お世話になった平本氏が亡くなったのが、先週金曜日。2日目に予定が合ったので、飲みを断って、「また来週やろうや!」と電話を切ったのが最後になりました。急な死で関係者、みんな困惑。かけがえのない人を亡くしました。通夜、葬式と両方とも参加させていただきましたが、生前の交流域の広さを物語るように、会場に入りきれないほどの人が詰めかけ、故人を慎みました。これから一緒にやっていこうとするプロジェクトもあり、まだまだご指導を仰がなければならないこと、たくさんありました。頻繁に連絡をとっていたし、短い期間でしたが、たくさん飲ませていただきました。軽快な語り口で明るい性格、みんなが自然と集まってくる人の魅力、こういう人はなかなかいないものです。未だに信じられませんが、改めて哀悼の意を表します。生前、1枚だけ撮っていた写真。「らしい」写真をみると、あの独特なしゃべりが蘇ってきます。本当にお世話になりました、ありがとうございました。平本さんが残した人や生きざまは、残ったみんなで受け継いでいきます。

ダブルヘッダ-

 

悩みの種

毎年、10月の連休は、幼稚園の運動会と西条酒まつりが重なる。連休中は何かと地域イベントも重なるので、是非日にちをずらしてほしいものだが、僕の声は届かない。結構困っている人がいるのではなかろうかと思っている。息子の幼稚園最後の運動会。過去を振り返りながら、子供の成長を感じることができました。長女の子守り中心であちこちあちこち。凄い雨が降ったにもかかわらず、何とか中断後、運動会も無事終わりました。その後、急ぐ急ぐ、東広島へ酒まつりへ向かいました。2日目は嵐のような感じで多くの方にご愛顧いただきました。ありがとうございます。目まぐるしい連休でしたが、楽しく過ごせました。感謝感謝の連休でした。