
ブラヒロシ2025
思い起こせば25年ぶりに日光へ参上。当時はお金があまりなかったので、特急は使わずで言った覚えがある。スペーシアですいっとといっても1時半はかかったが、いい気分転換に。金言の記憶とはあいまいなもの。写真のシーンは覚えているが、駅の記憶などほぼない。当時も東照宮とゆばと温泉という流れ、もう少し回りたかったが、時間切れである。それにしても観光客が多い多い、インバウンド、修学旅行でにぎわっていた。そして歩いた、歩いた、足が棒のようになった。年齢を重ねると、ほんと行けなくなるだろうと。いろんな場所へ行って知見を深める、この動きは必要、動くのが好きなのもあるが・・・・。

田舎者の憧れ
早稲田大学に行きたかったのだが、行けなかった。大隈講堂を見ると、やはりいいなと思うのだ。今はきれいになっているが、あの古ぼけた感じが記憶はいつもある。もう少し頑張れば、頑張り切れればと思うと、後悔の念が立たない。うちの子どもで一人はここへ行ってくれないかと思うが、これは自分の選択であるから強制もできない。いつかキャンパスを歩くと思うことはあると思う。それにしてもここに15年は通っている。ご縁があって、早稲田に。ここにたどり着ける能力をつけたいといつも願うもの。またここへ来れる日を楽しみにしたい。

達成感のない「戦い」
この前、雑談をたくさんした。僕のエトセトラを話している際に、「普通は学位とかとったら、それを活かしてという風に考えるが、僕はそうは考えていないですよね」と言われ、自己満足の域にあるよねって話をされたが、まさしくそうかもしれない。自分が納得し、または満足すれば、それが幸せだと思える。博士の学位を取ったかたとて、東大や京大ではないので、最難関をくぐったわけではない。そうすると劣位というのは感じるものであるが、それは事実ある。しかし、それで不満足かと言えば、それはない。とすると、自分の基準に合うか会わないかという問題ではなく、人と比較でもなく、もう「自分」との戦いにただただストイックに邁進することが最善解である。まあ僕のことは人は理解できないだろうが・・・。

経堂にて
コロナが最盛期のときに学位授与式で参ることができなかった東京農業大学。5年ぶりにキャンパスに行く。懐かしい気持ちもいっぱい。僕が通った学校の中で間違いなく、ナンバーワンである。残念なことに論文博士で、学位だけであり、学籍があったわけではないのに、ここに凄い愛着がある。母校のことを言う人はこんな気持ちかもしれないが、母校ではない。心の履歴書にはきちんと刻まれいる。キャンパスを歩いたことがないので、少し歩いてみた。かみしめるように。先生も退職されているので、ここに寄ることはないが、僕がここで学位を取れたことは誇りに持ちたい。

やがて海になる
「やがて海になる」の映画、広島先行上映のご挨拶に木村プロデューサーと河野谷アンバサダーが来られました。沖映画監督の出身地の江田島が舞台となり、上映できること、お喜び申し上げます。ほとんど力にはなってませんが、やり抜いて作品化したことは大変、素晴らしい。映画と言っても、費用もかなりかかるし、工数もかかる。なかなかできるものではありません。正直、映画とか言われれても門外漢。まったくわかりませんが、地域活性化につながるのなら何より。上映の成功を願っています、映画も見に行ってみますね。

長女は優しい
3人子供がいて、長女だけが絵を書いて、僕にプレゼントしてくれた。気持ちがうれしいではないか。肩たたきでもなんでもうれしいが、親になっての喜びである。残りの2人は何もない。なぜだろうかと思うが、強制するものでもないし・・・。親はずっと親かもしれないが、いつまでこうして一緒に住むのだろう。大学でどこかにも行くのかもしれないし。それぞれの人生である。可愛らしいプレゼントもあと少しかもしれないが、この子育ての貴重な時間を俺も大切にしたい。

久し振りに「一杯」
さださんとも長いお付き合いをさせていただいている。たまには飲もうということで、街中へ。全国飛び回って、「気」の力で皆さんを元気にさせている。僕もこの前、施術を受けた。このまま進んでいたら、顔面麻痺してたよと言われたほど悪かったみたいで、顔の硬直は亡くなった気もする。やはりぐわっと論文に向き合ったり、近年の仕事の忙しさが溜まっていたのだろう。寝れば、身体は復活するというのもすべて万策ではない。ただこうしていろんな方々とあいまって、話をしながら、楽しく、ミライへ進む。こういう夜がいいのである。

私は「変態」である
雑談をしていると、こういう考えもあるなと思った次第。タレントの高田純次さんが言っていたそうだが、歳をとると、「自慢話」と「昔話」ばかりするそうだ。だから高田さんは「エロ話」をして、自分が「変態」であると皆さんに言うらしい。確かに「自慢話」や「昔話」はよく聞くなと。武勇伝のように、それを誇示するかのような人は多いように思う。「エロ話」というのがいいかどうかは別にしろ、「自慢話」と「昔話」の理屈は言えているなと思い、だんだん歳をとっていくのだから、この点は気をつけないと思うところ。今を生きている自分を前に!そんなことも思うし、考え方次第で全く違う世界観は生まれる。「エロ話」の代わりになる話があればいいのだが・・・・、これも続かない気もするしね。

プラスもマイナスも・・・
結婚について、あまり経験や分別がつかないうちにしてしまった方がいいという記事を読んだ。年齢を重ねると、いろんなことがわかってしまうので、できなくなるというのだ。もっと言えば、踏み込めなくなる。それは考え過ぎることで、決断ができなくなる。そして億劫になる。この意見は同意するところであり、結婚はあまり感が過ぎると出来ない。もっといい人と会ってとか、もっと金持ちととか、いろんなことを考えると、決断できない。そもそも正解がない世界である。僕もその答えは未だわからない。しなかった人生がもう想像できないのだ。離婚も多くなってきているが、結婚の良さも当然にあるのだ。ただしプラスもマイナスももちろんあるが、結局は「総合的」判断なのだ。

なかなか時間があるようでない
たまには飲もうとか会おうといっても、忙しい毎日の中ではなかなか時間が合わないものである。今回、お会いした方も4月に会おうと思っていたが、調整つかずの6月。時間もあっと言う間にということで、たわいのない話で結局終わる。まあそんなものであるのだが、特に近くに住んでいるとそうなる。どこかでかけると、実現しやすいが、東京タワーの近くに住んでいる人は東京タワーに登らないように、いつでもという感覚があると、近くてと遠い人なのだ。炉端で酒を飲みながら、旧交を深めた夜。