お手紙拝借

10年ぶりの連絡

最近、大学院時代の先生と連絡を取ることが多い。こちらからもあるが、先生の方からということもあり、昨日は驚きで10年ぶりに広島に行くから会おうと連絡があった。もう大学院を離れて、15年以上も経過するので、現在は浦島太郎。それぞれに頑張っているに違いない。当時のことしか大学院もわからないが、まだ最初だったし、学生も少なく、活気があったころだ。今はたぶん優秀な学生が多く、今、僕が入ると修了できないのではないかと思ったりする。それにしても、大学院時代の先生に大学講師の道をいただいたりするとか、こうして連絡あるとか嬉しいよねと純粋に思う。再会の日を楽しみにしたいと思う。

肥料代の記事から

コストの低減事例

今日の日本農業新聞を読んで、さっそくのぞいてみた。僕の目はやはり会計に目がいき、栽培の方ではない。肥料代が下がれば、原価が下がる、利益が増えるといったところであるが、今回のシステムは、①購入先の見直し、②土づくり、③施肥量削減、の三分野でのコスト削減の事例、試算が示されている。こういったものは、実際、よくよく知りたいと思うことだが、なかなか調査ができるところでないと、試算が難しい。農家の皆さんが活用すればいいのになと思うもので、やはり会計屋さんで自分はあるのかなと思うところである。

 

人のつながり

これも縁です。

この前から、Aの人からの共通のBの人が知己であるという話が多く、非常に驚きが続いている。出会う方もちょっと違い、ほんとに繋がりが一見あると思わない人とであるから、世の中、面白いものだ。最近は特に忙しいので、脳が活性化しているのかわからないが、論理的にも感覚的にも、閃くことが多い。何か「変わって」きつつあるのは感じるものだ。昨日と違う自分に会える予感がする。こういう時期も人生あるのかもしれないと思い、不思議な日々を過ごしているところだ。

露店にて

再会も出会いも

毎年、広島大学の学園祭が大方、最後のイベントになる。朝方はいい天気であったが、昼からはあったかくならず、アイスクリーム屋としては厳しい売上であったが、コロナであれこれ軒並み中止のイベント開催状況から考えると、それでもよしとしないといけないのであろう。久しぶりの出店者の皆さんとの再会、遊びに来てくれた人、思いもよらず出会った人、いい一日になったものだ。たまには露店も出ないと思った瞬間であった。しかし、今は忙しすぎて、どうもならないのが現状である。まあ余裕がない。

忙しい日常

まだ見ぬ明日

僕にとっては、大きな人生の岐路に立っているのかと思うようなことがあり、そのことで頭がいっぱいというのが正直なところ。自分の努力で解決するのであれば、それだけで済むが、やはり相手のあること。なかなか進まないが、少しは進んでいる、一進一退というのか、こんなやりとりは続く。今回、かかわっていることが誰しもにない話で、もう二度とこんな仕事もないだろうと思い、心血を注いでいる。ようやくこれまでの努力が形になるかもしれないと思いながら生きているが、さてどうなるだろう。梯子は丈夫だといいが・・・。あまり気の休まらない日々だ。

ふざけとんのか(怒)

怒りはどこへぶつけるのか

とにかく理不尽なことが多いとか、なかなか決められないのを待つ身であるとか、どうすればメッセージは相手に伝わるのかとか、何かとイライラすることが多い。相手が何がしたいのかがわからないというのが多く、こちら側は想像の範囲を超えない。ひょっとしたら、何も考えていないのではないかとか、こうかなああかなと思うけど、その煩悶が多すぎると、感情の向け方が困るわけで、僕なりに反芻して、媒介して心に消化していかないといけない。そんなことで、前向きなこともあるのだが、とにかくイライラすることが多いので、とかく自分が嫌になる。酒を飲んでも、解決しないよねと思いつつ・・・。人間の弱さ、自分の弱さである。

東京へ

一番下の娘

幼稚園の間に上の子二人とは、東京へ連れて行っているが、一番下の娘はコロナもあって連れていくのは難しかった。なので、ずっと突っかかっていた。コロナも一時的かわからないが、今しかないと思い、上京。これまでの2人は僕と2人で上京し、2日間みっちり二人で過ごし、話をする。こんなことをやっていたが、どうも3番目はあまり僕に寄り付かない。だから仕方なく(しかし、コロナで制限された家族も配慮して)、みんなで行ったが、まあ金がかかる、かかる。こんなこともあるだろうと思うが、久々の東京もまたよかった。幼少期のいい思い出となればと思うところだ。

 

 

競争しない

ニッチなところで戦う

お勧めされて、読んだ本。マーケティングのあり方はやはり大切だなと思うが、マーケティングを教えれる人がいるようでいない。実務でも重宝される存在と思える。簡単に言えば、レッドオーシャンの市場ではなく、ブルーオーシャンの市場で勝負する。この点、当たり前であるようで、この市場の発掘や発見は難しいものである。読みやすい本なので、読んでみるといい。ある程度、タイトルをみたり、目次を見ると、だいたい書いてあるだろうことはわかる。しかし、その中身に一個でも新しい知見があるのなら、それはそれでいいことと思っている。読書はあまり分野に偏らず、違う分野も読みながら、複眼的に、複合的な視点を獲得できるようにと思っている。

人に教えるということ

学生と先生との間

会計学というものを教えるようになって、改めて一から学んでいるのだが、奥が深いなと毎日のように感じる。利休道歌のあるように、稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一という言葉は、かみしめるように感じる。学生に教えていて、難しいという。はじめてのことにチャレンジするのはしんどい。しかし、大学で学ぶということは大人へのステップ。もう子供ではない。這いつくばって理解できるように努力することも必要ではないか。今回、選んだテキストも復習もしやすいと思っているが、学生にはそうでもないのかしれない。僕とのギャップは、大きいような気がする。何とか理解してほしいし、世界を広げたい。わかれば楽しくなる。そう思いながら、結構悩んでいる今日この頃。

 

学びの場

芸術文化学習プログラム

子どもたちが陶芸を学びだして、1年半が経過する。当初は息子が習いたいと言い始めてスタートしたのだが、いつの間にか娘も通いだした。なかなか陶芸を学びたいという子供は少ないかもしれない。手を動かし、創作する。この営みは非常に大切な経験となると思う。まず何を作るかは誰も言わない。自分で作りたいものを決め、それを作る。そして先生がサポートする。自発的に先生に指導をお願いし、それを学ぶ。親としては続けていることがうれしいし、積極的な姿勢が何よりも励みになる。それぞれに作品も上手になっているのも感じる。とにかく継続は力なり。この学びを将来につなげてほしいと思う。