
キャリアの考え方
静かな退職とは、仕事に対する熱意を失い、必要最低限の業務だけを淡々とこなす働き方だそうだ。ニュースでこれを知ったが、言われたことはやるが、それ以上はしない。キャリアアップも考えず、上司の報告もAIに受け答えするなど、ほんと最低限の対応のようだ。本当に退職するわけではなく、退職しているような気持ちで出世や昇進を望まず、必要最低限の仕事をしながら在職し続けることは生き方の一つであることは認めるが、経営者サイドになると、こうした人間に対しての向き合い方は難しい。キャリアアップしてほしいと思えど、それを望まないわけで、企業力も当然に上がるはずもない。士気もそうだ。そんなこんなで夢や希望もあまり描けない時代になってきたんだなと思うことと、この「静かな退職」の現象が社会に広がることは果たしていいことなのかと考えてしまう。

わいわい、がやがや
久し振りにさださんと会う。漫談のようにしゃべり倒す。少しの時間であったが、楽しかった。僕も施術をしていただいた。思っても見ないところが悪いという。楽になった。若い頃、ほんと母親がリウマチで大変だったので、わらをも掴む気で施術をしていただいたのが最初。もう10年以上の付き合いになろうか。一時期、広島会場がなくなったときにほんとどうすると思うこともあったが、広島は患者も増えて盛況のようだ。たまには飲みに行こうと話をしたところ。若い頃の動きがいろいろと果実になっていく。

SNSの脅威
何故かインスタなどで、ここがよく出てきていて、広島市内に昼に行ったら行ってみようと思っていた。ようやく行けた。女性ばかりが店内で、お客さんの話ではいつも並んでいる人気店のようだ。写真もいい感じでSNSであがっており、人気出るだろうなと。おにぎりと汁、いろいろ選べるようになっており、女性好みはよくわかる。味もいいし。朝ごはんもやっているようで、この辺、賃貸する店舗をフル活用して、収益を上げられるように取り組んでいるところもいいと思う。そんなこんなで一つ行ってみたいところは行けたので、よかった。いい勉強になりました。

イベントの多い月
結婚記念日、嫁、長女の誕生日と何かと忙しい。我が家はどうもイベントが集中する傾向にあるが、昨日、長女11歳の誕生日。早いものである。昨日のように小さな頃を思い出す。やはり親になって、これほどかけがえのない時間を過ごせるのは幸せである。これからどのような人生を歩んでいくかはわからないが、親としては精一杯、育てたいと思うところ。女の子のいる家庭で育っていないので、これから大きくなると不安もあるが、もう少し子供のままでいてほしいと父、ヒロシは思うのである。

最高の結果を出す
この手の書籍は読みたくなる。効率的に成果を出す人は何か勉強法においても優れたものがあり、ヒントがあるのではないかと思うからだ。概ねどの人も同じようなことは書いているが、やはり書き方、伝え方ひとつで響くものもあったり、届かないものもあったりする。ノウハウはあるにせよ、勉強する癖、習慣化することはとても大事だと思う、この手の本ばかり読んで、受験にしても資格にしても取り組まないと損である。僕もいろいろ思うこともあるが、自分に得意技を作るには、何かのキャリアが必要になる。

たまには露天商に
アイスクリーム屋を辞めてから、もう二度と露天商の売り子はやることないと思っていた。イベントももうお客さんにしかならないんだろうなと思っていた矢先、「たまには露天商に出ませんか」との誘い。もうアイスクリーム屋ではないが、お手伝いとして参加。やはりいいね、この雰囲気。いい天気に恵まれ、春の心地よい日である。何か祭りはわくわくした気持ちにもなるし、いろんな人ともしゃべることができる。いい気分転換、たまには他でもいいので、露天商は出たいな・・・。

最初の一歩
放送大学は素晴らしい。何か学術的に「?」があると、導入の勉強に適したテキストがあることが多い。入り口を探すときには、結構、放送大学テキストを探す。その上、テレビやラジオで勉強もできるので、よくわからない場合はそれに頼ることができる。少し法律を学びたいと思い、手掛かりを探した。法律は読むが、本当にその読み方、解釈でいいのかと思うこともあるので、一度体系的に学びたいと思っていた。非常によく整理されたテキストで、これはいい。そんなこんなで法律も少し勉強しているのだが、やはり新しいことを知るのである。ああ、浅学の自分を思い知る。

生き方を考える
人生は運命と考えるべきか、それとも選択と考えるべきか。非常に難しい命題である。運命は文字通り命を運ぶと書くが、人生の定めというのも考えなくはない。いやいや選択と考えるならば、可能性のある選択肢があって、それを自ら選び取る。この選択はあくまで自分にボールはあり、そのボールはどこに投げるのか。崇高な思いが身体にあり、それを実現するように努力をする。この点ではフェアと思える。もちろん生きてきた環境もあり、人生の定めもあるのかもしれない。どちらが正しいとは言えないが、もし選択であるのならば、やはり自分自身が努力するしかないのだと思う。

ビジネススクールの集まり
29歳から2年間、通った立命館MBAの集まりで静岡に。前日の雨も何とか止んで、ちょうど富士山も見ることができた。来年で20年経つ。30代への突入の不安を持ちながら、大阪、京都に夢を持って通った。MBAが人生の成功手形ではないが、通ってきてよかった道である。あまりにも分野の違うことをやって、ほんとわからなかった。書籍もたくさん読んだけど、やはりあの頃は体力があったのである。本来であれば40歳を過ぎてから入ると、学びも深かったのだろうが、やはりそのときそのときの衝動はある。こんなに長く人間関係も続くなんて思いもよらなかったが、あの2年も僕にとってはかけがいのない宝物。

ここからすべてが始まる
やはりここにいると、今は居心地がいい。やる気も出るし、やりがいも出てくる。久しぶりに友岡先生に会いに行く。農大の博士論文のときに、どうにも詰まったときに見つけた著書から開眼(これは言い過ぎとしても)し、博士論文を書き上げたが、その時のお礼のお手紙を書いてお会いしてからの付き合いである。どなたか研究者を辿れば会えただろうが、色をつけるのもどうかと思い、素直にその旨を手紙にしたためた。快く会っていただいた。刺激をいつもいただき、どこかでぼそっと指導してくれる。先生は雑談をしたいと言うが、どこかで気にかけてくれているのではないかと思うものだ。そして図書館で勉強して、またいろいろ熟慮。なんて素敵だ。学校の中でお酒を飲めるところもあり、心地よい時間が流れる。また参ります。