自分ではそうは思わなかった
11月から一緒に仕事をしている同僚に言われたが、腑に落ちた。転職についての話であり、普通の人はAの仕事をしていれば、だいたいルーティンで同じ仕事になり、内容が嫌になったり、人間関係が嫌になったりで退職する。これが普通だと言う。この点は何も違和感なく聞いたのだが、僕の場合、核になる仕事をしながら、いろんなことをやっている。だから会社の中で転職を繰り返しているだけで、外から見れば「転職」を繰り返している人に見えるとのこと。この視点は僕にはなく、そうだなと腑に落ちた話だ。性格的に一つのことをずっとするのは難しい。熱しやすく冷めやすい。好奇心旺盛である。有機的にどこかでつながってくると思っている点と、一つにあまり固執しない、みんなが思っているほど執着しない。そんな性格が大きく影響しているが、転職ということを考えるとそうなんだろうと思った次第。僕は謎らしい。
とかく機械に振り回される
超アナログ人間のため、とかく機械には疎い。パソコン関係がもっと強くなればと思うし、その能力があれば、もっと違う技能、技術を得て、新たな仕事もできるだろうに思うことはしばしば。インターネットであれこれやり方を調べてもよくわからないことも多く、ほんと困りっぱなしである。IT に強くならなければと思うのだが、それがかなわずというか、努力不足もあろうが、振り回されぱなしである。アプリやソフトなどもっと知って、使いこなせば全然違う世界があるんだろうがといった思考がぐるりぐるりと頭をまわる。1からしっかり教えてくれる人はいないだろうか?ワード、エクセルからITまで。
バタバタして進まない犬かきのようだ
忙しい、忙しいというのはいいとは思わないが、とにかく仕事、やることが多い。終わらない。一個、事が終えると、二個やることが増えているという感じで、毎日、増えているような感じ。年々、やることが増え、楽になる感じはない。若いころの方が全然、楽に生きれていた気がする。とにかく年々、歳を積み重ねるので、やることを少なくして、もう少しゆとりが取れるものだと思っていた。じっくり本を読んだり、自分の時間を取れたりと考えていただけに、その意味では想定外。周りがうらやましいと思うこともある(僕に対してうらやましいと思う人もいるだろう)。立ち止まりたいが、立ち止まることは許されない。動きながら考える、そんな生活。期限のあるものばかりなので、本当に終わるのかなと思うのだが、終わらせないといけないし・・・。今、そんな生活状況である。
果敢にチャレンジ!
リアル店舗でサザエスタイルというアイスクリーム屋を経営していた時に、小スペースだが、喫茶ができるようにしていた。そのときに珈琲も自社ブランドで出して売っていた時のデザインである。例のごとく、私の奥様。彼女時代に書いてもらったものだが、嫁のことをほめるわけではないが、やさしいタッチの絵を描く。僕の似顔絵も嫁さんが書いてくれているが、一時期、評判になったもので、選挙の時も僕の似顔絵は使った。嫁としてはどんどん販路拡大といったように望んでいないので、進めてはいないが、デザインの世界は川上が多く、費用が高い、そして川中は精度が劣る。川下はそれ以下とすると、川下にあっても、川上でも通用するデザインというものは市場があるように思う。それにしても、懐かしいデザインである。若さゆえの果敢チャレンジだったなと今でも思う。
剛直な言葉
とかく漱石が気になる。何かハッとする。二百十日は会話で成り立っている短編であるが、言葉が強めのものが目立つ。漱石は世紀末という100年を単位とした思想の中で、小説を読み解くことは重要な要素と思うが、一番、最後の文章、「二人の~百年の不平~を吐き出している」という一説があるが、ああここにも百年というワードが使われていることに改めて気づいたことである。こんなに二百十日の小説の言葉があらあらしく表現されているというのも、草枕からつながるじ「情」の世界と思える。もう少し文学に浸る時間が欲しい、心に余裕がないのかもしれない。
| ゴマブックス株式会社 発売日 : 2017-08-30 |
終わりのない迷路のようだ
広島県もいわゆるマンボウであり、また補助金というのが紐づけになっている。財源はどうなっているのか、聞くのが怖いくらい湯水のように出しているが、本当にこれを出してもいいのだろうかと思うところだ。広島県の頑張る中小企業月次支援金 を見ると30%から50%の減少のところは補助金が減っている。さすがにいつまで出し続けるのかというのも疑問。今年は頑張ろうとか年始は思うものだが、出花からこの状況でやるにやりきれない。今のオミクロンで言えば、無症状が多く、重症化するケースが少ないことから、平時のように動くのがいいのではないかと思うところ。皆さんの考えはどうだろう?
新しいステップの準備
あれこれ動いているので、頭の整頓が難しいが、将来的なことを見据え、スタートアップをしようと思う。思いもよらない福岡、九州でスタートする。昔からそうだが、広島に住んでいると東へ向く(僕だけか?)。大阪、東京。ことさら関西エリアは飛んでしまい、東京ばかり向いているような気がする。福岡も大都市圏であるが、西へ向かうことはまずない。なので、土地勘がとかくない。政策学校時代、福岡に在籍していたが、日帰りなので、その場所との行き来しかないため、ぶらっとすることもなかった。ほんと処女地のようだ。九州は正直、頭さえなかったが、今回、いい話になりそうだ。ここ数年は九州にお世話になることは多くなると思う。生きなおす意味でもチャレンジしたい。人生は思うようにコトが進まないが、受け入れて生きていかないといけないように思う。とかくいろんなことを考えさせられる日々だ。
コロナの影響はどうなる?
コロナ拡大が止まらない。第6波がとうとう来たという感じであろう。実務では確定申告が近づいてきているのもあり、少しずつ話がき始めたなというところはある。ここ2年、1か月延長措置がなされたが、結局、ダラダラする人は1か月延びようが関係なく、同じような行動パターン。つまり、延ばしても対策を打った感を政府が持つだけだ。実務をやる側もだれるし、確かに時間の余裕はあるかもしれないが、いいとは思えない。なんとなく近日中に延長の発表が出るような気もするが、果たしてどうなるんだろうか?気になる話題である。
一息、二息
ランチミーティングなど時間の活用を考えることもあるが、日中の折り返しと考えれば、このランチ時間で頭の整頓も必要なのかなと思うことが多くなった。いかんせん、あれやこれややっているのもあり、歯抜けの状態になるものもあるので、一度、ワンクッションを置く。こんな時間配分をした方がいいのではないかと思う。なので、近くで弁当を買ったりして、職場でランチをするのは極力控え、どこかで食べる。その方が結局、効率もいいのかもしれないと思うようになった。効率性を高めると、時間に余裕時間も出るし、ダラダラするにしてもそれでもなかった時間を創出できることになる。次に考える一手、心の整頓時間をうまく活用してみたい。
非人情の世界
何となく草枕が読み直したくなって、読んでみた。「山路を登りながら、こう考えた」と始まるあの小説である。漱石を読めば、社会がわかるという人もいるが、何となく漱石の言葉から今の僕が抱えている諸問題を打破できるのではないかと思い、何故か草枕から読み直すことにした。旅の宿であった女性を通して、芸術や思想、哲学、文明というものが見えてくるのだが、西洋化への格闘がつぶさに読めてくるわけで、国家権力との向き合い方、思想というのがあらわになっている。感染症の時代になっている今、自分自身でコントロールが何かと難しくなっており、ぐっと考えることが多くなっている。少しずつだが、漱石と再度、向き合ってみようと思っている。何かわかってくるものがあるだろうか。