人の賑わいから
4年ぶりに向原のアート祭りへ出店しました。度重なるコロナの影響で、毎年のように開催できず、残念な思いで一杯でした。まあその頃はさすがに主催者の立場を考えても、開催は難しかったと思う。この祭りはアート、音楽、フード、雑貨と手作り感満載の祭りで、ほんと地域で作り上げた感のあるすてきな祭りである。各地域でこういうイベントを作っていくといいのだが、牽引するリーダーは大変であるし、一人ではできないので、協力体制も必須である。まあそんなこんなで、久しぶりの露天商でアイスを売れて、いい一日を過ごせました。
久し振りに
東広島を拠点にしていると、日中に広島市内にいることがほぼないので、半分は浦島太郎のような状態であり、昔の記憶を辿るしかない。そんなこんなで昔の記憶から久々にこだにに行くことにした。昔ある店で、広島、鰻と言えばというような店であろう。運よく開店直後であったおかげですぐには入れたし、並んでいなかったので、ラッキーであった。いつも思うが、ランチタイムを有効的に活用できるかどうかは、ビジネスにおいても、交流においても重要な要素と言えまいか。そう思いながら、少し贅沢をしたランチであった。
教養もかねて
お堅い学術書籍や論文を読むばかりではほんと疲れるので、一般書で読みやすく、教養が高まるものも読むようにしている。もともとファイナンシャルプランニングは非常に興味を持っている分野であり、大学でもぜひコマをもたせてもらって、講義も受け持ちたいのだが、楽しく読めたな・・・。この前、たまたま時間があったので、じっくり本屋を回ったときにたまたま見つけて読んだけど、わかりやすく、おそらくヒントを得られると思う。本当はもっともっと読みたいと思うが、時間に余裕がないのが今の僕。時間はうまく創造したいけど、利活用がよくないのは僕の欠点でもある。
24時間の中で
時間は平等であるが、その時間をどう有効的に使うかは永遠の課題と言っていい。仕事に打ち込む、学業に打ち込む、趣味に打ち込む、様々であろう。僕で言えば、○○に打ち込むだけでは面白くないので、○○もするけど××もするといった欲張りなところがあって、あれもこれもということになろうか。だからこそ一度、オフにしてじっくり一人で考える時間が必要であり、その時間がどうしてもいるのだ。独身の頃はその時間ばかりだったけど、そうもいかない。まあ時間の作り方はほんと考える。うまく充実ある時間をといつも思うのだが、いたずらに時が経ち、年齢を重ねているなと改めて思う今日この頃。
終わってみれば
結局、自民党が勝ったなという補選であった。信任ということになろうか。もう少し野党にという風にも思ったが、そうにはならなかった。民度とのズレであろうか。一つの政党に偏らせすぎると、独善的になるので、本来は2大政党で緊張感ある政治が望ましいと思うが、今の野党の現状を見ると、当分は無理であろう。地方選挙も知った方の多くは当選している。初心忘れずに頑張ってほしいものだ。それにしても、政治に無関心になってしまった。10年前の候補者とは全く自分が思えない。
時が経つのは早い
19日の妻の誕生日、20日は長女の誕生日と我が家は2夜連続の誕生日会となった。4月は結婚記念日もある。どうも我が家のイベントは重なってしまう。それぞれ個別の祝いの日だから、そこは関係もないかもしれないが・・・。長女で言うと、もう9歳になった。どんくさいところは全く変わらないが、彼女なりに一生懸命やっているのは伝わる。コツコツと積み上げていくしかないし、何かができないとも思わない。ピアノも陶芸も続いている。きっと将来、力の源になるはずだ。妻もそうだが、いい一年にしてほしいと願う次第。
あまりにもバカバカしく・・・
嫁の誕生日だというのに、断りを得て少しお酒を飲みに出た。ここでは書けないような話であるが、茶番というのか、大人の世界でこんなことがあるのだろうかと思うようなこと。でも現実にあったので、どうにもこうにも気持ちのやり場に困り、リフレッシュ。嫁には申し訳ないことをしたと思う。ほんと生きているといろいろあるよ。今日は長女の誕生日。今日はおとなしくするつもり。馬鹿話はもういい。
2023年度のスタートを切る
学術研究も再稼働する。さあスタートだということで、さっそく打ち合わせ。3月後半から仕込みをしているが、今度は僕がガンガン文字を起こし、論文にしていく。つらい作業だが、自分が望んだことでもある。何をするにせよ、いつも挑戦者でいないと面白くない。何を目指す、戦うというファイティングポーズがなくなると、僕自身も生きていて、何だろうと思う。それにしても、いい時間だったな・・・。博士取得後の学術研究もそろそろ動くよ。
口以外何もない
よく思うことだが、料理ができる人、電気工事ができる人、陶芸ができる人、庭の剪定ができる人など、手に技術がある人がうらやましい。僕は何もできないので、出来事があって、それをできる人は呼んでこれるが、「自分」で解決することができない。道先案内人でしかない。そうなると、劣等感もあるのだが、どうもこうもないわけであるが、何か動こうとするときに障害である。口だけしかないのである。口も時には役立つこともある。先生をやっているくらいだから、その点はいいかもしれないが、まあ何かと困るもんだ。殊更、技術・技能のなさを恥じることはしばしば。まあそんなことでよい週末を!
口のたつ息子
FBで懐かしい写真が出てきた。息子の11年前である。今や小学校6年で小学校も終わりを告げる。ほんと早いものである。今、改めてみても、ぼくにそっくりである。この時期、わけもわからず、子育てをしてたけれど、楽しい時間だったように思う。こういうかけがえのない時間もある。少子化とかいろいろ言うが、全然、やる気を感じないし、もう少子化対策支援もしないと宣言したほうがいいと思う。例のように、先延ばしということになるだろうが、解決をしていこうという姿勢はないなと思う。対策のために子供を授かるのではないのだが・・・。