減少の加速化

農業問題

これは先日の記事であるが、本日の日本農業新聞でも農業経営体90万割という記事が出た。国内の農業生産をいかに維持するのかが課題となっているが、若手の農業参入には所得の低さもあるし、創業資金の確保などなかなか進まない。離農、新規就農・・・・・担い手の問題は大きいなと思うところ。集落営農を中心に研究をすすめている身としては、地域維持には必要な要素であるが、問題の繰延をしているだけで抜本的な解決はしていない。どうすればいいのか、おそらく農業の場合、事業を軌道に乗せるには7年はかかると思う。まずもって創業資金がかかりすぎる。ハウス一棟建てると、今や5000万円近い。軌道にのせるまでの支援をどうするのかをもう一度構成すべきと思う。食は人間生活の根幹を担う。食料自給率が40パーセントなら、60%は食べられないということ。輸入に頼るだけではいけないのでは?2割減と言えば、10000人から8000人ということ。100万人なら80万人である。そういう事実を受け止めるべきであろう。

君子の交りは淡きこと水の若し

2024年上半期を振り返り

昨年の今頃から一人になる時間をできるだけ作るように、人とのかかわりを弱め、40代の棚卸をきちんとして、50代へジャンプアップしようとするライフスタイルを変えるようにした。しかし、これまでよりは一人になる時間が出来たように思うが、僕が望んでいるほどではない。荘子にある「淡交」。こんなことを思い出した。君子の付き合いは水のように淡泊なので、その友情は永続きするというところから、あっさりした交際のことを指すが、これくらいがちょうどいい加減ではないかと思う年頃なのかと思う。また若いころによく口にしていたことがあり、女優の原節子さんが一線の走っている際に、鎌倉に隠居し、忍びながら生きる。鎌倉好きな自分でもあるので、殊更彼女のような生き方にも憧れた。このこともよく話するようにもなった。節目というか、最近は、頭の中に張り巡らせるようになった。
上半期で感じたことは、本質をよりよく考える人は少ない。付和雷同。この傾向を感じることが多くなった。「淡交」をしなければならないんだなと。人の裏切りも多く、神髄をつけば、衝突する。裏を返せば、これを理解して向き合わなければ、排除の論理になる。こういう人間模様も得た。
それにしても、時の経過が早いなと思う所感。改めて「淡交」、生き方として必要と感じる今日この頃。

漸く行けた

立命館時代の思い出

なかなか上京がままならず、谷口正和先生へのお礼が出来なかった。ようやく事務所へ参上することができた。コロナもあって、ご無沙汰していたが、生きたうちにもう一度お会いしたかったものだ。生前、あれだけお世話になりながら、恩返しもできず、これからこうご期待と言おう。まあそこまでにはなれないかもしれないが、もう少しもがいてみることにする。上京すると、あれやこれやあって時間が足りない。ほんと東京は過ごしやすい。ほんと引っ越して新たなスタートを切ろうかどうか考えるときもあるが、そういう風にはならないよね・・・。

大学院の集まり

函館にて

毎年、大学院のときにつくったグループでの旅行をする。別研という名前で2006年から。コロナで中断はあったものの、毎年のようにどこかへ行く。今年は「函館」である。1泊2日でずっといるといろんな話もするし、人間関係も濃くなる。酒をたらふく飲み、美味しいものを食べて、観光。素敵ではないか、こんな時間。とても贅沢に過ごすことができる。これだけでも立命館に通ってよかったと思えることだ。旅行に関しては普段いかないようなところばかり行くので、新鮮さは抜群である。来年は静岡。楽しみに1年を過ごしたいと思う。

モノの違い

期待感いっぱい

前安芸高田市長の石丸さんが東京都知事へ出馬される。一度、会いたいと思っている人だが、昨日の記者クラブでの映像をみたら、ほんとびっくりした。「政治屋の一掃」というインパクトある言葉、そしてキラーワードの「恥を知れ、恥を」と決める。まあレベルが違うなと感じた。たぶん普段会うと、賢いさわやかな青年、年下だから少しだけ先輩づらしておちゃらけることもできるんじゃないかと思う人柄のように思う。しかし、仕事になると映像で見るようなキレキレ、妥協のない仕事ぶりになるのだろうと思う、まあこれは予想としてだが、期待感いっぱいで見ている。こういう人が出てくると、選挙も行きたくなるよねと思う。さあ今日からすべての候補者にエールを送ります。

ちょうどいい「温度」

自分の「器」

大きくもなく、小さくもなく。あるいは大きく!とか会社ややることなどあると思うが、やはりそれぞれにある個のちょうどいいところがどこなのか見極めることが必要である。温度がわからないと結局、いいことにならないのではないか。この前から大きなことを言うが、その中身に客観性がない、つまり数値化できない人が多く、これを何度いってもダメな人はダメなのだ。ダメと言うよりカルチャーが違うから、言うだけ無駄なのである。自分の「器」を考えるにあたって、自分での把握もあるが、第三者への伝えられる内容かどうか。だから大きくしたくてもできないとか、できてもしないとか、その判断枠組みは持った方がいいよと思う次第。そんなことを考えることが最近は多い気がする。

 

アジサイの時期

長女と

3人の子どもがいても、どこか行こうというと長女だけが乗ってくる感じになっている。昨年も長女と見に行ったが、奇麗だったことをよく覚えていて、じゃあ行こうかという話になった。アジサイを見ると、鎌倉に行きたくなる。心が和む時間であった。花は人を幸せにするんだなと感じる瞬間である。今年は春にチューリップを見ようと思っていたが、行けなかった。そういう余裕を持って生きないと思うのだが、なかなかそうも生きていけてないのが現実。そんなこんなでいい気分転換になりました。

岡山にて

あれこれ話して

岡山も長いことお世話になるようになり、思い入れもある街となった。広島から岡山という距離はさほどないが、通過するだけ。関西へ東海へ、関東へというところを目指すのならただ通るだけで、途中下車もすることさえない。そんな土地柄であったが、大学でお世話になってからはほんと頻繁に行くので、だいぶ馴染みもできた気もする。2軒目。僕のかねがねから行きたかったアマバー。ようやく行けることができた。こんな場所が広島にも会ったらいいな(あるのかもしれないけど)と思う、いい場所だった。

給食費無償化

6年で7倍だそう

先日、住んでいる町で「給食無償化」をセンターピンで公約して当選し、町長になったが、そうはならなかったということに苦言を呈したが、先日、文部科学省が実態調査結果を公表した。とすると、6年で7倍が自治体の導入事例となっているようだ。それでもまだ給食無償化には程遠い。無償化の目的は、子育て支援が90パーセント、少子化対策9パーセント、定住、転入の促進が5パーセント、食育の推進が3パーセントと続くようだ。財源では、自己財源が66パーセントのようで、自治体の財力が強いところができるのかと思うところ。実際、3人子供がいる我が家は無償化は助かるが、現実は出来ないだろう。なので、「嘘」のつかない政治をしてほしいと切に願うのだ。給食も公費が入って、安価に子供が食べることができる。そして何より食べているのだ。そこではない学校が徴収する諸費を公費を援助するように持って行くべきだ。算数ドリルや文具といったものを毎月のように請求が来るが、これは直接的に学習に影響をするし、給食費と比べれば、自治体負担も安いはずだ。そんなことで、子育て支援にはあまり注力しない子の国に、自己責任という負荷があるが、一方で仕方ないと思っている。だからもう一度、「嘘」のつかない政治。そして持続可能な運営のためにどうすべきかをもっと見えるようにと願い次第。

農業経営あれこれ

中山間地域へ

少し遠めの農業法人へお仕事。まあいろいろ話していると、あれこれ出てくるもので、いいコミュケーションが取れたのかなと思う時間でした。内容は言えないけれど、たまに農業の現場に行き、学びを得ることをしていかないといけないなと思いながら、どうしても農業の仕事になると、ちょっと遠めの位置にあることから時間がとか言い訳となることもある。まあそうは言わず、動かないと改めて思ったところ。農業の仕事もまだまだやりますよ。写真は道中でランチ。