たまにはいいもんだ
年に数度、昼夜と職場では飲食を共にする。昨日はそういう日であった。人間関係はいい職場だと思うが、こうした食事会にしてもやりすぎもよくないし、やらなさすぎも風通しから考えていいとは思わない。適当、適度というのが望ましい。そんなことを思うものだ。仕事とプライベートというがこれもバランスである。僕はあまり入り込まないようにはしている。放課後という言い方を僕はしているが、放課後は放課後でリセットして生きればいい。仕事の目的と手段をという話に立ち戻るのだろうか。しかしながら、話は戻すと、こうして食事さえできないのもさびしい。とかくバランス感覚。おいしく頂きました。
新たな挑戦
美酒鍋の缶詰を新たに作成したので、今回、クラウドファンディングを挑戦しようということになった。未発売の新商品の展開には、クラウドファンディングは親和性が高く、どのようにマーケットが動くのかは非常に興味深いところである。新商品開発に当たり、どこまで精度の高いものができるのかという課題があったが、非常にいいのではないかと自画自賛している。缶詰だと海外の人にもお土産で買って帰れることから、手軽感はあるのではないか。そんなこんなで今日からの開始である。今後に期待したい。
どうもバテテいる
毎日、走馬灯のように時間が過ぎる。あれこれやることも多く、終わればまた次に追われる。そんな毎日である。そういうルーティンを過ごしているのもあるが、やはり猛暑、残暑というのがじわりじわりと影響をしているような気がする。50歳も近くなってくると、体力もこうも落ちてくるのかとも思ったりもするし・・・。休むということはどういうことなのかとも思う。動いていた方が休まる気もするし、何もしない方が疲れるような気もするし。はてまて、残暑厳しい9月末。冷房はまだガンガンかてた毎日である。
一息つく
最近はランチもそうゆっくりできない。一応は色々いくけれど、時間を多くというのは難しい。今日は一日、移動続きだが、久しぶりに寄ってみようとやま寿司へ。昔、聞いた話だととかく庭が好きで、お金ができたらすぐに庭のお金をかけて手入れするそうだ。合っているかどうかは知らないが、庭はなかなかのもので、それを見ながら食事をする。いいものですよ。贅沢なランチです。飲食店も各特色があるもので、それぞれに特徴あるものを出したものに会える方がお客としては面白い。飲食店は依然厳しいが、みんなが笑顔になれるようにと思う次第。
昔の人の会う
一新塾という政策学校に通っていたことがある。僕もあの時はしんどかった。悶々とした日々、一皮むけない人生、いろんなことを考えたものである。そんなときに出会った方と久しぶりにお会いした。SNSもあるので、最近は会ってなくても会ったような雰囲気にもなるし、そこまででとどめるのもこれでいいだろう。なかなか人とは会おうにも時間もないのもあるし、敢えて会う理由もないと考えると、結局は会う行動モードにも達さない。そういうことを常に思っているが、今回はたまたま会って話したが、いい時間を過ごさせてもらった。何かの壁にぶつかり、何かを打破、解決しようとしていた時期にお会いした同窓との時間は、改めていい時間であったように思う。
手に取りやすい
この前、山口に行ったときに購入したゼリーである。昔、僕も買おうと思ったが、辞めたが、子供がこれを持ってきた。内容いかんではなく、このパッケージは手に取りやすい。目につくという点でかなり優位性があるように思う。ゼリー自体に特徴があるわけでもなく、ほんと普通である。そういうものもあるんだなと思い、このパッケージをくれと子供に頼んだものだ。あらたな商品を作るときに、パッケージは気になるが、やたらそのパッケージにお金をかけて、費用倒れ(これは僕も経験済)も多い。だからその点、どこまでこだわるのかというのも焦点とはいえる。高速道路のSAで買ったような記憶があるので、何かの折に見てほしい。
農地を巡る制度史
やはり歴史を知るというところからは逃げられない。それだけの地脈があるもので、こういうものを読めばわかることは多い。なぜならば。今あることが突飛に出てくる話ではなく、その延長線上にあるからである。どうもこの前から、「農業者」、「農地」という観点が気になって仕方がない。いろいろ読むが、当座、これが一番詳しそうだ。部分的に読んだものなので、流れに沿って少し読んで見ようと。ただ太い本なので、読破には時間を要するが・・・。ただ研究者が読む本と言える。
朝時間をフルに
もう少し早起きすると、さらに使える時間が拡大すると思うが、少しモーニング時間をどう構成するかはよく考えるようになった。することがとかく多いので、自分のリセットもあるが、人に邪魔をされない時間の創出は非常に大切だと思うところで、あれこれとかく考えることだ。人には時間の平等はあるが、その時間の使い方いかんで人生が変わる。これまでもよく戒めて思っていたことだ。同じようなことをブログに残すのも、時間の使い方がいつも完璧でないから、自分の振り返りをする。そういう風に考えながら、生き直すことを常にしていかないと思うものだ。今日は人と少しおしゃべり。勉学もいいが、これも大切なことである。
内と外
少しだけ飲みたいときがある。晩酌という程度の量で、軽く癒しの酒程度。最近、少し寄るところが出来た。料理もそうあるわけではないが、ちょうどいい感じである。何が食べたいとかいうこともなく、少し日常を軽いリセット、リフレッシュをする。そもそも酒を飲みだしたら、僕があまり食べない人であるので、大きく求めてないこともフィットする。プロが作るザ・外食というところも好きではあるが、立ち飲み感覚の店もいいものだ。家で飲まないというと意外に思われるが、盆暮れ正月という程度に少し飲む程度である。なので、「少しだけ」というのは必要な営みであるように思う。しかも分相応な金額でもあるので、殊更、ちょうどいいばかり。喫茶店にせよ、風呂にせよ、自分のリフレッシュ場所を僕が欲している。
インボイスは廃止すべきだ
どう考えてもインボイスは混乱しかない。他の徴税方法を考えるべき。今日の農業新聞であるが、施工日が近づくにつれ、現実をたたきつけられる。個人的な見解であるが、インボイスの悪評は高いのは、おそらく政府もわかっているだろう。だから支持率が下がるのを恐れ、政府CMもしない。普通だと、「インボイスの登録はまだですか?」と啓蒙のCMが嫌というほど流れるはずだ。それもない。しれっとスタートするのだろう。この記事では、直売所のインボイス対応について特集しているが、消化仕入方式であると直売所の経営は成り立たなくなるのは容易に予想できる、しかし、これをしないと直売所には農作物は集まらないだろう。今回、思うのは、インボイスの制度設計をするにあたり、幅広い検討がされたのかどうかである。あまりにも小規模事業は、社会からの追放が気がしてならない。やりすぎである。消費税の複数税率を辞めて、10パーセントに統一することの方が皆さんにも理解がしやすいと思われる。ただ再考税収は近年続く中、税徴収がどんどん厳しくなっていくのは危惧でしかない。