久々の蕎麦屋紀行

人の趣味で楽しむ

3,4か月に一度、一杯やる先生がいる。その先生はとかく蕎麦が好き。だから飲むときもできるだけ蕎麦の店を選ぶ。昨年は東京にいった際も、1日4食も蕎麦を一緒に食べた。いい思い出である。趣味がある人はうらやましいもので、自分には何もない。自慢にもならないが、じゃあ趣味のお裾分けというか、たまにその人の趣味に付き合うと楽しめないかと思うようになり、これはこれでと思いながらいる。十人十色。興味は違い、それはそれで面白い。今回は二八蕎麦。おいしくいただきました。

昼でもどうですか?

たまにはランチでも

昼でもどうですか?と誘いもあったので、たまにはと思い、食事をさせて頂いた。痛感するのは、ランチタイムの有効活用、コミュニケーションの必要性である。今頃は忙しいし、自分でも考えたいことが満載なので、一息つけるように一人でいるように極力している。しかし、たまにこうして出かけて、他の人としゃべるのもいいものだなと思ったものだ。夜と違い、昼タイムは時間も区切りが見えやすい。これ、大切な時間の使い方であるよねと改めて思うランチタイムでした。

謙虚な社会科学だそうだ

ほんと「謙虚」なのか

一応、専門はと聞かれると、「農業会計学」と答えているが、その農業会計学は、農業経済学の一端から派生しており、その一部として考えていい。僕の立場からすれは、社会科学で育ってきたと思うが、最後は自然科学の農学部出になるわけで、ほんとどっちつかずで生きているのは間違いない。そのどっちつかずの僕が先日読んだ「農業経済学の意義」で違和感を感じざるを得ない。謙虚という言葉が果たして適切なのか。中身を読むと意味はわかる。「本質的な構図をシンプルな概念で提示するのが農業経済学の役割」、「能動的に日本の農業を内外に発信することが重要である」ということは理解できる。果たしてそれが「謙虚」なのか。ぱっと言葉が浮かんではこないが、「謙虚」ではない。そんな所感を得た記事であった。

新たな門出

子どもから大人へのステップ

長男が今日から中学生である。3人の子どもにも伝えているが、幼稚園をもって、父親が入学式や卒業式に行くことは辞めている。①みんな行けるかどうかわからないので、不平等になりうる、②父親は外に出て、仕事をして、家族を養うのが本分、といったことを念頭にそうしている。だから子供のことも心配ではあるが、ここは母親に任せている。中学生になると、今まで小学校では最高学年であったが、また新入りの新人である。環境も多く変わるので、人格形成にも大きく左右する。公立には行かせたくなかったが、自発的ではないといくら進学校にいったからとて、成功するはずもない。結局は自分なのである。これからは「大人」として成長を期待する。あまり大カバチを垂れると、父親の雷が落ちるのもわかっているとは思うが・・・・。わんぱくもでいい、たくましく育ってほしい(何かのCM)。

再会の場

若いころの話

若い頃、わいわいやっていた人が再独立をして飲食店を開業したので、お祝いがてら一杯飲みに行った。空白の時間。やはりコロナもあったり、別の仕事にもついたりといろいろ苦労はされていたようだ。空白の時間、僕ももちろんいろんなことがあって、悶々としていたし、ああでもない、こうでもないと思いながら生きていた。だからそれぞれに思うところはあるだろうが、こうして何とかこうにか再スタートを切れたことに素直にお祝いしたい。歳をとると、残念ながらこれもできる、あれもできるという風にはならないだろう。どこかの政治家ではないが、「自分の立ち位置」を考える。50歳のカウントダウンは少しずつ進んでいる。僕は僕なりに頑張っていくし、また再起を目指して頑張る姿に刺激と再会の喜びといろいろかみしめたいい夜であった。

4月4日

特別な日

13回目の結婚記念日&母親の誕生日。僕がいろいろ考えて、この日にしたわけだが、結婚して長い時間経過した。ちょうど12年前の写真である。息子がピアノ教室に通っていたころであり、まだ幼さがにじみでる。今は一丁前なことを言ってくるが、こうして大きく育っているので、時の経過は早いものだ。離婚が多くなっている中、不思議と長く生活が続いている。離婚前提ではないが、長く一緒にいれるのはきっといいことだろうと思う。花よりケーキがいいそうで、大事に持って帰ろうと思う。そして、母親にはお花を持って行くつもりである。長く生きてほしいと願う次第。二人に感謝した一日。4月4日。死ぬまで感慨にふける一日である。

かつての同級生と

さかのぼること、2006年

立命館時代MBA時代の同期が広島に寄ったのでということで、連絡をくれた。そして一緒に食事をして、旧交をくわえた。当時の立命館はMBA専門職大学院の初年度であり、入学もしやすかったと思うし、先生方も初年度ともあって熱気があふれていたように思う。今ではMBAは学力的に入学できなかったかもしれない。また29歳という若さが関西へ進ませたと思うし、エネルギーは重要と思う。さてもう20年近くなるが、大きくキャリアチェンジをしているのは、FBで拝見済。充実した人生を送っているようだ。社会人大学院は、人生の転機となる可能性も多い。それを証明した人だと思うし、努力の賜物である。コロナもあったが、ほんとMBAの人たちとは会わなくなった。機会もないのもあるが、たまにこうしてふらっとというのが一番好ましい気がする。

春の行楽

小学校最後の旅行

息子が小学校を終えた。その思い出に関西旅行をしたわけだが、大阪を歩くのもいいなと改めて思った。自分では大学院で通っていたところなので、どうも旅行ではないのだが、行っていないところもたくさんある。写真にあるのは万博公園。来年、万博もあるからこれからもっとお客さんは増えるに違いない。1970年自分が生まれる6年も前だが、大掛かりなイベントだったんだとよくわかった。日本が高度成長をし、活気があったんだろうと予想する。今はなんだ?、こんなしらけた感じなのが対照的。そんな所感である。いろいろ連れて行ったと思うが、大阪ではUSJに行きたいらしい。考えてあげんといけんだろうなと思うが、5人移動は金もかかるよねとせこいことも思うものだ。

お話を楽しむ

慌ただしさの軽減

少しずつランチでも時間を取ってと思うようになってきた。何分、あれやこれやの毎日が続いていたので、どうもそんな気にもなれなかったのもある。話をしたいことも聞いておこうということもたくさんありつつ、いろんな場所にいると気分も変わる。そういう心持である。久しぶりにパスタを食べた。洋食系は食べないこともないが、機会は少ないように思う。ランチライムになると、時間がないというのもある。でもたまにいくといいもので、今回、行ったお店はちょうどいい感じだった。ちょうどいいというのは、雰囲気である。カジュアルであり、話もしやすいといか、空間かな。そんなことで。一時よりははるかに楽になっている。もう少しあちこち行こうと思う春の日々。

息子の成長

もっとはばたけ!

先日、息子が友達と博多へ電車を見に行くという。それも鈍行で行くというわけだ。散髪屋にバスで一人で行ってみればと言っても、本人は怖いのか行かないといった奴が急に博多である。電車の熱もあるにせよ、とてもいいことだと思い、自主性を重んじた。ただし、帰りだけは新幹線で帰りなさいといったが、ほんとに日帰りで帰ってきた。6時の電車で博多へ向かい、13時くらいに着いたようだが、楽しんでいけたみたい。どうも一緒に行った友達はこうした電車旅も慣れているようで、いい相棒ができたのかもしれない。やはり自分で行動圏を広げ、学びを得ることはいいことではないか。そんな思いでいる。もっとスケールの大きい人間に育ってほしい!もっと力強く、翼を広げて未来へ切り拓け!息子よ。