子供との共有時間
どこか出かけるかというと、公園に行きたいというので、道の駅福富へひとっ走り出かけました。今日はとにかく寒かった。にもかかわらず駐車場はいっぱいで盛況。この前、行ったときは気づかなかったが(覚えていないのかもしれない)、遊具がちょうどいい。3子目が生まれるまでは、各方面の公園に連れて行った。お金をかけずに一緒に遊ぶのもいいなと。商業施設や観光地はとかくお金がかかる。公園で自由闊達に遊びまわりながら、コミュニケ-ションをとった方が子育てにはいいだろう。そんなことで少し遠出するくらいが負担なく、ちょうどいいのかもしれない。今しかできない、子育ての貴重な時間。「今が大切!」
東京芸大の魅力
最近は本屋に行く余裕がない。そのため、自分の目で注目書籍など目に触れる機会がめっきり少なくなった。それでも読書はできるだけするようにはしている。この前、たまたまスーパ-の本屋で見つけた書籍であり、興味深かったために購入して拝読。著者も一部のヒアリングといっているが、東京芸大って面白そうなところだ。枠がない。そして正解がない。そんな生き方を追体験できる。教科書的に生きれば、ダメかもしれないないが、身体が芸術であり、そして作品である。すべて二重丸の生き方なのだ。だれも教えることはできない。でもこの多様性の空間を提供できる東京芸大の素晴らしさとその関係者は、魅力いっぱい。若いころにこういう選択肢があるんだよって知りたかった。僕はそう生きていただろうに。
101年目の命日
夏目漱石を巡る一年から、また始まる新たな一年へ。100年にあたり、全国いろんなところでイベントや催しもあった。結局、3月に神奈川の文学館のものしかいけなかったけど、できるだけ漱石を向き合うようにした。読み直したいと思っていたけど、なかなか読めなかったが、評論や様々な文庫、書籍は読ませてもらった。紡ぐ言葉を辿りながら、こうじゃないか、ああじゃないかと考えさせられること、多々あった。文学を通じて、社会の世相を知り、社会に問いかける。この答えは風に吹かれているかもしれないが、100年経っても新しい言葉や思想が、我々、未来の読者に勇気づけてくれる。文系部もなくしていこうとする現代は、ほんとに正しいのか?生産的なものがかりが流行るのもどうかと思われる。立ち止まって、じっくり考えたい。でも時間がない、こんな今日この頃の僕である。もう一度、漱石に向き合いながら、これからの人生訓を蓄えたい。
いつも不思議に思うこと
研究者もどきのことをやって、数年たったが、未だに「学者文化」に慣れないことが多い。その一つに、学会の投稿にまつわることである。いわゆる論文の原稿を渡してから、その納期がないため、ズルズル時間だけ経過して、思い出したかのようにこちらに来て、修正しろという。修正はまだしもそれには極めて短い納期が与えられる。「大学の先生は忙しいが、あなた方は暇でしょ?」とあざ笑われているようだ。学生と同じ扱いというか社会的地位がそうさせるのか、かなりなめられているなと感じがする。毅然とした態度で接していかないとこれは呑まれる。なあなあになる。しかも投稿料を請求される学会なら、また何をやっとるのと思うわけだ。だから真面目に接するのが馬鹿馬鹿しくなることもしばしばである。学者の世界は規制産業だから、その「文化」と「文法」を守らなければいけない。アウトサイダ-の僕は何処へ行く?
一番下の娘の誕生日
1歳の誕生日おめでとう!まあ産婦人科で人生初の骨折を経験させてもらって、印象的な出産だった。もうすぐ歩けるような感じだし、歯も少しずつ生えてきた。そして、いろんなものが食べられるようになってきて、順調に成長している。子供が3人と言えば、結構驚かれる。やはり一般的には2人が標準なんだろうが、僕は一人分、多く幸せをもらっていると思って育てています。ほんと義理の母にそっくりだなといつも思うわ。まあできる限りのことはやっていくけど、なかなか目が届かないところもあって、自然成長もしていかないといけないところはあるので、申し訳ない。早く大きくなって、いろんなことを一緒にやれるといいなと思う今日の雑感。
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志と現実
とある人から政治家希望の人に会ってほしいということで、お会いした。僕よりも若い男性で、考えや志、キャリアなど、しっかりされていた方だった。果たして政治は人を幸せにできるのか?個人的にはできないという結論を僕は持っている。そして、政治では世の中は帰られる可能性はあるが、時間がかかりすぎるということ。現段階では、経済でしか僕は世の中を変えられないと思っている。雇用を生み出せる、財政を担える、そして意思決定が早くできる・・・。様々な観点からそう思う。政治を語ると腫物のように扱われるが、誰かが5年先、10年先、100年先といった将来のグランドデザインを描き、それを実践し、よりより世の中を創り出していくことが必要である。しかし、政治は人を幸せにできない。幸せの尺度がそれぞれ違うが、一人の政治家で意思決定はできない。それ故に個々の幸せの課題をクリアにするにはやはり時間がかかる。それでも政治は大切だ。誰かがその役割を担い、行動する代表者があるわけだから。一度は政治家を志した身だ。ほんとに出てみてからわかることも多いから、やり抜いてほしい。
目標を実現するために
勉強法など自己啓発できるようなものを読むことがある。勉強法については、読む機会を作っている。試験には過去問題から解くようにとか、誰もが書いているようなこともあるが、それ以上に整理の仕方、時間の活用など、あっこれ自分も導入してみようと思うものがある。今回で言えば、昼時間を1時間延ばすということ、午前中に仕事が効率化できるので、昼ごはんを1時間延ばすといったことがすぐにできること、かつ確かにそうだなと思っている。医師であり、MBAを取得し、時間の細切れを使いながら、そしてプライベ-トの充実を図っているのは素晴らしい。時間は平等。みんな24時間である。この24時間にどれだけのことを実行し、成果を上げていくのか。僕もやること山積みなので、しっかりといいことは導入していきたいと思う。他にも参考になることあるので、合間に読んでみるといいと思う。
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実務者からすれば厄介な代物
マイナンバ-は本当に導入してよかったのだろうか?負担があまりにも大きく厄介な制度である。マイナンバ-による証明書の提出省略ができ、税、社会保障、災害対策の行政事務に役立つとされている。しかしこれを各々から集めるのは、仕事として受ける側にとっても、提出義務者にとっても、ほんとめんどくさい。そして時間を要する。個人情報の在り方は考えていかないといけないが、これは理解がまだまだ及んでいない。安易にマイナンバ-を伝えるべきではないし、悪用されないだろうかと危惧がある。様々な点で法改正が多く、頭がついていかない。マイナンバ-はとにかく考えモノである。しかし、制度としてある以上、学んでおいた方がいい。
生涯現役で働く術
僕自身は近年、サラリ-マンの方が幸せな気がしている。中小企業の経営者とばかり会うが、税や社会保険の負担が多くなってきていることや、そもそもの収益力が弱いなど、経営状況は厳しい。もちろん骨太にいい会社もあるが、経営の苦しさをみていると、毎月のフィ-をもらい、その中で生活する方が気分的に楽な気がする。この本では「社畜」という表現があるが、そういう会社も多くあるのも事実だし、気持ちの持ちようだ。しかし、フリ-エ-ジェントの生き方はこれから必要で、ライフスタイルも変わってきている。なので、自営業ができる人は挑戦していけばいいし、サラリ-マンで過ごすのも一つの選択肢だ。これは各々の生き方の捉え方で、思考のありようが問われている気がする。僕はサラリ-マンをやったことがないので、正直ないものねだりである。経営者は一度は考えるようだ。自分の環境はやるしかないということでしかないが・・・・。
農業経営の拡大の選択
先日、支援している農家に訪問した時のお話である。株主として企業参入している人と農家のせめぎあい。前者は利益重視であり、損益分岐点を探ろうとしており、その数値化により小さいものが少しずつ大きく展開していけば、大きくなる事業計画を策定したい。後者は売上重視であり、レバレッジをかけて、投資する。拡大すれば、使えるお金も大きくなり、経営展開が広がっていくという考え。どちらも同じゴールは求めているが、その道程がかなり違う。農業経営の管理をどのように数値化し、見えるような会計システムに作り上げ、活用するかは非常に重要なファクタ-である。僕はスモ-ルファ-マ-が増えれば、大きくなるという考えと、莫大な資本を投下できる企業でない限り、掌の中で商売はすべきという考えである。少しの無理なら挽回できるが、それが挽回できなくなる可能性がある。農業の場合、労働力も高齢化から時間単位で測定すると、やはり効率は悪いはずである。また天候に左右される業種を考えると、合理的に進みにくい。変動を加味しないといけないわけである。今回の議論は農業に留まらない、中小企業の問題としても立脚する。大企業もそうだろう。会計で言うと、一つ「変動損益計算書」は使ってもらいたいツール。管理会計はあくまで使う経営者の意思決定だから、強制するものはない。たくさんあるけど、この計算書はもっと使われていい管理表であると思っている。