人生の補助線を引く
48歳を無事迎えることが出来た。こうやって大カバチを垂れて生きてこられたのも、まずは産んでくれた母親に感謝したい。そして、たくさんのお祝いメッセージ、ありがとうございます。重ねていつも本当にありがとうございます。
48歳。辰、年男。こんな一年だったが、本格的に50代を意識して生きるようになりました。今年、久しぶりに小学生時代からの友人とお酒を飲む機会があった。その一人が「ワシらの歳ってもう死ぬやつが出てくるよね」という発言にドキっとしたもので、仲がいいから当分会わなくていいやと思っていたが、後悔のないように会って時間を共有しようと思うようになったのが今年。そして、SNS で会った気になっているけど、ほとんど会わないというのも、SNSの功罪でもあるなと思い、そろそろSNS を終わりの時期にと思うようになったのも今年。さらに、自分が生きる時間がほんとに少なくなってきて、果たして「あとの残り」の人生は何ができるのかと本格的に考えだしたのも今年。静的に過ごした産物である。
「あとの残り」の人生。今のところの結論は、つまるところ、生きてきた自分の人生に補助線を引くようなことではないのかという結論に行きつく。算数や数学で補助線を引いてみると、これとこれって合同だよねとか、相似だよねとか、台形に補助線を引くと、三角と四角の形だよねとか、あるものからないものを見出す視点や発見ではなかろうか。その補助線を引く作業から新たなモノやコトが生まれてこないのだろうか。自分のできることは、そんなところにしかないのかもしれないと深く思う。劇的な「新しい」ことは、その一部に内包されているような気がする。
さて、49年目は動きのある年になりそうなので、その動きを強く意識して、人生の「補助線」を引いてみたい。「知」を「知」で洗い、「個」を磨く。その心のセンタク(選択・洗濯)はいかにあるのか。今年は激しく「動」である。春くらいから動いていく。
これを49年目のスタートの声明として、今日から生きなおすこととしたい。
48歳、誕生日 暑い夏の教壇にて
岸保 宏