
衰退へ進むのか
社長の記者会見を見たが、どう見てもまずい会見だったように思う。真摯に解決していこうという姿勢ではなく、自己保身がよくわかるものであった。事実、CMはACに代わっていき。スポンサー企業も態度を表明しているように思う。究極的には放送免許はく奪がなされるかもしれないし、半年間の放送停止など厳しい対応をすべきように思う。報道が正しいのかどうかは定かではないが、たぶん報道されたようなことは起こったのだろうと推察する。イメージも凋落しているが、これはうやむやにすべきではないと思う。今後を見守るとしても、自己浄化は出来ないのではないかと思う。

キャラクターの違い
親子で仕事をしている場合、通常で言えば自営であれば、子へ継承すると思われるが、やはり経営をするとなると、その資質もあるし、キャラクターの違いもある。多くは似ているところもあるが、大半違う。もちろんビジネスキャリアも違うわけだから、その経験までも踏襲するのは難しい。そう考えると、もし経営者の資質がない場合は、その事業はその一代で畳んだ方がいい。キャラクターの部分は特に大きく、人間が異なるんだから、考えも違う。それと顧客がフィットするのかというのもある。激変する社会にあって、昨日と同じ今日があるなんてことはない。親が子を甘やかせば、荒波に流されるだけだろう。

最後は決めてくれよ!
例年、やはり赤点がいて、何とか救済をしてあげたい、さらには僕の担当が「必修」もあって、その気持ちは加速する。例年は専任の方にお任せするのだが、今年は最後までケツを拭こうかなと。最後だからね。今年もいるから問題作成した。テキスト持ち込み可だから、満点取れると思うんだが、どうだろう?やっぱり勉強しないといかんよね。大学なんだからと思うのだが、追試ってのは温情。それにこたえるかどうかは、生徒次第。そう思うね。まあそんなこと、考えながら作ってみた。これも毎年変える。それはレベルがだんだん下がっているから仕方ないと思いながらも。

日本語文法野郎と化す!
来年から日本語教師をやるので、学校へ打ち合わせに。どうも中級クラスになりそう。僕の要望は語用論、とりわけ日本語文法がいいなという話をして、大学へ進学したい学生で中級を見ることになりそう。たまたま学校に行ったときに、ミャンマーの学生が大学受験をするらしく、少し話をしたが、超前向き。いいね、若い力で未来を切り拓いてほしい。そういうお手伝いができるのならこの上ない。大学はすべて授業はなくなるが、語学学校は自分の幅を広げると思っている。僕の領域が拡張する。若い頃の「あれこれ」のサインプレーが始まる。そんな思いがした打ち合わせ。

足を伸ばす
奈良に行く機会がないので、今回、久しぶりに立ち寄ってみた。写真は薬師寺であるが、平城宮跡や東大寺、法隆寺などメジャーなところへ。東大寺に行った記憶はあるが、その他は正直、記憶にない。人間の記憶とはいい加減なものである。今回、よく考えれば、2年前に京都観光をしたが、奈良→京都の順に回るのがベストだった。それはそうだ、飛鳥時代からたどればそうである。そんな後悔もありつつも、いい気分転換になった。寒いのによく歩いた2日間であった。

関西でリスタート
久し振りに関西からお声がかかった。プロジェクトは進んでいくのか、わからないが、心が踊らされる。生きていれば面白いものである。もう関西の地を離れて、約20年。今年は関西大震災から30年が経過する歳。随分、時は経た。振り返ればいろんなことがあったが、再発進できるかもしれない。2025年度の新しい波。いろんな議論、意見交換をした夜であった。

歴史を勉強しなくては
農業政策の過去の偉人の足跡を知りたいと思って、購入したもののなかなか読めなかった。ようやく読めた。「あとがき」の中に紹介したいところがあった。「日本農業は何故、衰退したいのか。原因は数多くあると思われるが、誤解を恐れずにいうと、二つあると思う。一つは農業あるいは農学に対する蔑視である。これはたとえば、従来まで大学農学部や農業高校が偏差値の低い進学先としてみられたことに現れている。もっとも、最近はバイオテクノロジーや生命科学が脚光を浴びているので、変化しつつあると思われるが、今なお根強く「差別感」は残っている。もう一つは、農業という被差別側に往々としてみられることであるが、閉鎖性と排他性である。おそらくこの差別感、閉鎖性、排他性を払拭できない限り、農業の衰退はくい止めることができないだろう。コンプレックスのかたまりから新たな創造のきっかけなど望むべくもないからである(並松2012,226-227頁)」。学籍はまXもたなかったが、東京農業大学に学位を持つ人間としてはわかる気がする。農業の自立と向き合った5人を知る機会になると思うので、中身は参考になる。是非読んでもらいたいと思うので、紹介したい。

田園回帰?
1月10日の日本農業新聞の1面に「移住過去最多24県」というタイトルの記事が上がった。移住調査で過去5年で24県が最多といい、田園回帰の流れが続き、若者世代が移住へ向かっているようだ。田舎暮らしでネックなのは仕事の確保である。田舎で育った人間は死ぬまでこの場所で過ごせないのを知っている。それは生活を確保する仕事がないからである。もちろん仕事を立派にしている人もいるが、都会と比べて機会が少ないのは事実と思う。そんな点で「関係人口」という概念が近年、よく聞かれるが、実際はどうなのか。週末田舎暮らしなどのライフスタイルなどうまくそれが出来る人はいいが、人にはそれぞれ状況がある。都会の一極集中はあまり芳しいとは思わないが、田舎にもリスクを伴う。お金は都会よりかからないかもしればいが、それだけ稼げないという事実はB面にあるなと思うところである。

中小企業はどうなる?
大手が初任給を上げるというニュース。たとえば、明治安田生命は、2025年度の初任給を24万円から27万円へ。ユニクロは33万円という。確かに優秀な人材を確保しようとする動きはいいことだとは思うが、中小企業はどうなるの?と不安である。正直なところ、無理な賃上げを民間におしつけているだけで、国は本気で取り組んでいるのか、よくわからない。それは103万円の壁、一つ上がるには上がるけどっていうレベル。賃上げもあるけど、手取りもと思う。それにしても、初任給の上げ幅は大きく、これはこれで問題もあるなと。いい面と悪い面。どちらかといえば、マイナスに作用する気もして、少し気になるニュース。

もう受験もなくなるのか
僕は大学、大学院で今現在、4つの学位があって、学生の身分もたくさんさせてもらった。そして今は大学の教壇にも立っているが、現実的に「大学」って必要ある?と思いだした。偏差値にもよるところはあるが、Fランクと言われるところは高校の延長線上で、あまり進歩をしていると感じない。仮に私立大学で1年で学費が100万円だとすれば、4年で400万円。奨学金を借りるとすれば、将来の負債になる。その負債が人生の資産になればいいが、ほんとにそうだろうかと疑い深い。そもそも「学士」を持つ価値があまりにも下がってしまったのだ。「学士」を持つことで初任給は高く、より優位に社会人生活を送れるという方程式は今や崩壊している。そう考えると、大学に行く意味ある?と素朴な疑問である。社会人のリカレント教育が進むように、ほんとに必要であれば、そこから勉強をスタートさせた方がよりいいのではないか。今の大学にあまり魅力は感じないが、僕は研究もしているので、必要ではあるものの、自分の子どもが進学する頃にどういう見方になるだろうか。受験勉強はめんどくさい→安易な道の選択。そもそも大学行かなくていいよねってなるんだろうか。環境にもよるが・・・。