
真面目に考えてみた
広島の活性化を考えてみた。20年後、戦後100周年のときに広島平和万博を開催する。市街地で適当な場所と言えば、海田の駐屯地くらい。ここに今の大阪万博の大屋根リングを重ねてみた。とするとある程度、このサイズ感はいける。海田の駐屯地は東広島へという話もかつてあった。これは防災等の観点から海抜の高い東広島へというお話で、駐屯地は写す。万博を機に鉄道を引っ張る。車は大阪万博のように呉などP&R駐車場はできるし、船での会場入りもできる。万博後、この跡地は広島新空港にならないか。市街地にある方が街の移動の行き来のメリットが高い。これくらい街を動かさないと広島の人口流失はさらに加速をするのではないか、意外にいい発想ではないかと個人的には思うのだが・・・・。

みんな笑え!
映画監督の沖正文氏の前の作品である「みんな笑え」を視聴した。僕が落語をやり始めたこともあり、落語の映画があるよって薦めてくださった。一言で「引き込まれた、面白かった」。それぞれのキャストの人間模様の交錯と生き様が見事に描かれており、考えさせられるものであった。夢を追うことは反作用として、苦しみやつらさもある。それは高くジャンプアップして生きようとすると、アゲインストの風は吹くからである。しかし、飛行機もアゲインストの風があって、高く飛ぶのであって、これは困難とは違うのである。そんなこんなで人の出会いから新しいものをみた。素晴らしかった。是非、視聴していただきたい。

ボケ始めたのか・・・
どうも自分のすることに自信がなくなってきた。これ忘れているというのが多くなってきており、少しやばいかもと思う。車のカギをなくしたり、買っておいたと思うお菓子をもう食べたと言われたり(自分で食べたそうだ)、どうも初老の認知症かも思うもの。脳のオーバーワークというのもあるかもしれないが、50歳手前、やはりいろいろ出てくるのだろうか。身体は元気である。この前の万博で測定した25年後の自分を図った際も、今は43歳で計測された。6歳若いのである。ただ気を付けないといけないのだろうと思うもので、記憶が定かでないと思うことが出てきているのが気になる。

日本農業新聞から
日本農業新聞に論点というコーナーがあり、本日は「米不足騒動のなぜ」というテーマで藻谷浩介さんが記事を出していた。今年の新米も価格高騰。構造的な問題として70代後半の農民が離農は進み、続々と廃業し、コメを作る側から買う側へシフトしている。そして「適正な価格」が先決であり、低すぎる米価が真の要因としたことを書かれているが、その点には異論はない。しかし、米価を適正に上げ、耕作放棄地の再農地化と新規就農の促進を掲げるが、その方策である。解決策として、教員の農林漁業の一定期間の教育実習の導入、あるいは自衛官、警察官、公務員とか、徴兵制ならず徴農制といったことを導入するなど、抜本的に変えないとたぶん作り手はいなくなる。解決策といっても、ここでは極端に言っているだけでこれは極めて実現が厳しい。警察官や自衛官なら可能性はあるかもしれないが、農林漁業への実習を取り入れると、その職業のなり手も損なう可能性もあるし・・・。そうなると食える、生活できる農業を作り出さないと、職業としての「業」にならないだろう。いつもどうすれば解決に導けるだろうかと考えるが、ひとまずは自分にその解決策が見当たらない。

過去・現在・未来
今度、上映予定の「やがて海になる」の映画監督、沖正文氏と一杯。年齢も1個上で程よく近い。ひょんなことからお付き合いができて、とんとん拍子で一杯。いい酒でしたね。いろんな話をさせていただいて、やはり苦労して映画を作ってきたんだなと感じることもしばしば。そもそも業種も違うし、そう会うことがない仕事の人なので、新鮮で新鮮で。9月の映画が楽しみで楽しみで。どのような話なので、期待をして待つことにしましょう。いい夜でしたよ。

片付ける癖
何故、自分がこのように時間に余裕がなくなってきているのかという問いの答えとして、先延ばしにされたタスクがある。これは一つの要因であるが、毎日、いろんなことがおこるわけだから、そのタスクをすぐに片付ける。できるだけ先送りにせず、対応する。それを僕はできるだけしているが、他がそうしてくれない。他者が存在し、相手を待つことがある案件であると、一定程度でそれがリターンがあると、解決していくのだが、それがずっとほったらかし、その人がめんどくさがってやらない場合だと、それが溜まっていく。段取りよくやりたいので、スケジュールをたてるが、それが壊される。そしていらいらする。出来る人はすぐにこなす。これ出来る人と出来ない人の「差」。出来ない人が僕の周りは多すぎて、ほんと自分にのしかかってくる。これ何とかならないかなと思うのだが・・・、愚痴である。

ようやく「リターン」!
6月に出した論文の校正が届いた。お盆にじっくりと思っていたが、そのお盆は何故か超多忙。結局、お盆を越えてしまった。期日は十分間に合っているが、どうもあれこれ溜まっているのは心地がよくない。結局、やらなくなるという最悪の事態も招く。うやぬやにしてなかったことにしようとする人間は多いが、結局、そのときそのときで踏ん張って山を越えないから、逃げることしかできなくなるのだ。そうならないように頑張るしかないのだが、なかなか自分に余裕がないのである。悲しいことに。でもひとまずは「リターン」したぞ!

8月戦線
下半期に突入して、上半期をまとめるために半年ぶりとか連絡をすることが多くなる。もちろん仕事。何か連絡をすると、皆さん一様に忙しそうである。人員不足で忙しいのか、業務がそもそも忙しいのか、暑いから仕事が効率悪いのか、理由はわからないが、暇そうな人がいない。僕もそうはいっても忙しい。どうも仕事のスピードが遅いのである。たぶん。それとやることを増やし過ぎたのもある。これは前にも書いたけど・・・。他の人はそれぞれに理由があろうが、車輪に油を差して、効率よく回す。さびたら車輪はまわらなくなるのである。ペースメーカーというのは大事であり、これは日ごろの習慣である。眠い目をこすり、1分遅くまでやる。あるいは1分早く起きてやる。やはりコツコツなのである。自分にも言い聞かせながら・・・。

将来のことはみんなわからない
農家さんとの雑談の際に、結婚の話題になった。若い人が結婚したという話であるが、出会いは「マッチングアプリ」だそうだ。世の中も変わったものだという話の中で、事前にマッチングアプリだと個人情報がわかるそうだ。年収や家柄、学歴、職歴などがわかり、安心材料が増えるそうだ。昔は2人いれば、飯は食えるというようなことも言われたが、今の世の中、そんなに甘くない。2人で泥沼にということも十分にありうる。上昇気流の日本ではないのであり、明らかに下降線は間違いないのである。その文脈から結婚の是非を考えると、たぶん今ならしない方がいい気がする。今なら僕もしない。先が見えないからであり、背負うだけの度量があるかどうか言えば、YESと力強くは言えないのである。貧困化した日本にあって、マッチングアプリの話からいろんな話が出たが、普通の幸せを普通に享受できないものかと思うものである。

新聞のコラム
ご縁をいただいた沖監督からメールが届き、コラム読んでくださいねという便り。中国新聞を購読していないので、購読している人に取っていただいて、漸く読めた。母の死、広島のこと、強度に対する思い、自身の結婚・・・・。いいコラムだったな。新聞ってはやり情報のデパートであるが、関心がないとしっかり読んでいない記事も多い。もし中国新聞を購読していても、読み飛ばしている可能性もある。こうしたご縁から映画を知る。年齢も1つしか違わないのかとも思いながら、今週の再会を楽しみにしたい。