3年間よく頑張りました
3人の子供。すべてヤマハ音楽教室に通わせていて(息子はやめたが)、長女も幼稚園入学と同時に入った。発表会が近づくにつれて、練習もヒートアップ。「もうわたしあきらめる」とか「もう疲れた」とか珍しく弱音を吐いていたが、最後までやりきった。本番もノンミス。上手に弾けました。練習をみていると、本番の2,3日前から急にうまくなった(それまでの努力があってだが)気がする。鍵盤を弾く感じが全く違うように上手になっている。やはり物事をやるときに、あきらめずに最後まで頑張るということを改めて教えてくれた。ちぃちゃん、よく頑張った。コロナで発表会は翌週、次女。2回に分かれた。次女はどうだろう。お姉ちゃんに続いて頑張ってほしいものだ。
老若の鉄道マニア
機会があって、テレビに子供たちを出させていただいた。元電気技士の方が趣味で作っている鉄道模型。定年から始められ、過去にも取り上げられたことがあるようだ。鉄道好きの息子に白羽の矢が立ち、今回の出演となった。小さい頃のテレビとかメディアの露出は幾分の不安を伴うが、なかなかこういう機会もないので、前向きに捉えたい。それにしても、鉄道マニア同士、専門的な話が多く、よくわからない。多少、息子から知識を得たが、到底及ばない。まあ好きなことを追いかける。いいことだと思う。大きくなって、また振り返れる時も来るだろう。いい思い出にしたい。
また移動
長女の進学に伴い、自宅の部屋を長女へ引き渡す。長女に言われると、3人の子供の中でもすごく言葉が響き、何とかしてやろうという気になる。昨年、実家の本の西条の離れの家に移動した。これは文学関係の著書で、引っ越しをしたときは30箱弱になっただろうか。だいぶ処分したが、それでもあふれている。それと同じように農業会計を中心とした本が住まいにあり、これを再度、実家に移し、自分の書斎を作る。研究者にとっては書籍は重要なものである。これをするために、床の補強から書棚からまた費用がかかる。西条の離れも随分、お金はかかったが、まあ仕方ない。実家の方へ僕もよくいるようになるかもしれないが、長女の願いはかなえてやりたい。個室も欲しくなるのは当然だろう。母親はうっとおいしいだろうが、寝泊りもするようになるかもしれない。まあ近いんだから許してくれ。去年から事務所の引っ越しをしたりとほんと疲れる。無駄な時間のようにも思うが・・・。半新生活と位置付けて楽しんでみよう。
ようやく自分の確定申告提出
今年もひと月、確定申告時期が延長になったが、自分のことが終わらないのはどうも気になって仕方がなかった。例年でいうと、2月には終えていたことが今年は3月にずれ込んだわけだから、昨年よりバタバタしているのか。去年は忙しくて、記憶さえない。ブログでも書いていないはずだ。こうした意味では今年のほうがゆとりがあるのかもしれないが、それでも忙しいなというのは思うこと。年々歳をとっていることも起因しているだろう。考えてみると、事務所に来所者が多い気がするので、事務時間が減る(時間を割く)というのは大きいかもしれない。それにしても、今年も出せてほっとした。扶養控除が小さい時期になくなっているのはかなり痛い。この国は、子育て世代には厳しいと思う。もっと支援も考えるべきだろう、子供は宝。もう一人ほしいが、さすがに3人でも厳しい中、無理かなと思うところ。そんな家族多いのではないかと思う。
テコ入れをする
このブログも5年くらいは経過するだろうか。その間にこのブログから講演がきたり、ラジオ出演がきたりと新しい展開もあったし、それなりの存在意義はあったように思う。このブログでは僕のふわっとしら雰囲気ーかっちりとわかる必要はないがーが伝わり、何かがつながっていきたいと思う方に僕を覗いていただくようにと思っている。だから超長文のようなものもは書かないし、そう長くは書かないようにもしている。少しのメッセージから何かがあればと思うところである。今回、少し追加も含めて考えてみようと思っている。世の中が変わるときに化学変化がある。だからいろいろ新しい可能性があるだろう、楽しみにいただきたいと思っている。
毎年困ったものです
毎年のことになるが、この時期、花粉症に悩まされる。ぼぉーとするし、体調も思わしくなくなる。昨年・今年では、コロナと間違えられることもあるだろうし、ますます厄介である。耳鼻科に行き、薬ももらうのだが、効いているのか効いていないのか、微妙である。何かいい手はないものだろうか。この時期が特に忙しい時期なので、いらないことはすべて排除したいときだから、なおさら悩ましい。花粉症よ、いい加減にしてくれ。それにしてもつらい・・・。
時間の管理
昨年度からスケジュールは、グーグルカレンダーに、もっぱら入れるようになった。手書きで手帳に書いていたが、かなり便利といえば便利。しかしながら、事が多すぎて、なかなか予定も入れにくいのも事実である。すべての事柄にすべてをこたえられないので、全部を入れられないし、また相手にも都合がある。う~ん、自己完結の用事ばかりではないので、その調整というのは難しいものだ。それにしても、なぜこんなにあたふた生きなければいけなくなったのだろう。とかく心に余裕がないため、いらないことは考えたくない。過去・今・未来、あ~あ時間に縛られている。時間の管理法を学びたいところ。
せわしい毎日
横やりのように、仕事が入る。ありがたいことだが、オーバーヒート気味になっている。目の前のことをこなすということに終始していては、もう少し先、あるいはもっと先の未来の手当てができないわけで、変なジレンマがある。年度末になると、補助事業や来年度の公募など新しい動きのためのものが走馬灯のように情報が出て消える。うまく活用している人はそのように動くし、知らない人は何もなかったように生きるのみだ。アンテナの張り方。ひょっとしたら大きく変わるわけで、ここは踏ん張り時。さあ頑張ろう!
農業と文学-耳で読むー
年末に農業と文学をテーマにしたら、面白いんじゃないかと思い、ラジオでも取り上げることにした。絵本作家の澤口たまみさんとセッションしたわけだが、ほんと楽しい時間だった。耳で読む、すごい名言だった。宮沢賢治は、人の幸せを誰よりも望み、農業、自然にも目を向けていた。一方で人間で必要な自然も知っていたと思われる。農業の件で、ぱっと浮かんできたのは、宮澤賢治でそう語れる人にもなかなか出会えないが、ほんといい機会に恵まれた。澤口たまみさんは宮沢賢治の作品の朗読CDも手掛けている。耳で読んでみよう!
陶芸を学ぶ
秋口くらいから息子が陶芸を習いたいと言い出し、陶芸を月に一回、学んでいるが、娘たちも学ぶようになった。もう手慣れたもので、いろんなものを創作する。コップ、さら、置物、花瓶・・・。思いはそれぞれ。なかなか陶芸を習いたいとは子供が言うことは少ないのではないか。今回はお父さんにお母さんに、おじいちゃんにおばあちゃんにとプレゼントするとか、自分で使うとかいろいろ。楽しんでやればいい。芸術にかかわるというのは、いいことだ。絵画でもいいし、彫刻でもなんでもいい。何かにかかわり、感受性を高めていくことを続けていけばいいと思っている。子供の教育に正解はないかもしれないが、学校とは違う「科目」はきっと将来もやくだつはずだ。