君子の交りは淡きこと水の若し

2024年上半期を振り返り

昨年の今頃から一人になる時間をできるだけ作るように、人とのかかわりを弱め、40代の棚卸をきちんとして、50代へジャンプアップしようとするライフスタイルを変えるようにした。しかし、これまでよりは一人になる時間が出来たように思うが、僕が望んでいるほどではない。荘子にある「淡交」。こんなことを思い出した。君子の付き合いは水のように淡泊なので、その友情は永続きするというところから、あっさりした交際のことを指すが、これくらいがちょうどいい加減ではないかと思う年頃なのかと思う。また若いころによく口にしていたことがあり、女優の原節子さんが一線の走っている際に、鎌倉に隠居し、忍びながら生きる。鎌倉好きな自分でもあるので、殊更彼女のような生き方にも憧れた。このこともよく話するようにもなった。節目というか、最近は、頭の中に張り巡らせるようになった。
上半期で感じたことは、本質をよりよく考える人は少ない。付和雷同。この傾向を感じることが多くなった。「淡交」をしなければならないんだなと。人の裏切りも多く、神髄をつけば、衝突する。裏を返せば、これを理解して向き合わなければ、排除の論理になる。こういう人間模様も得た。
それにしても、時の経過が早いなと思う所感。改めて「淡交」、生き方として必要と感じる今日この頃。