スキマ

コロナ下でのマスク

苦い思いで

世の中ではマスクが必須となった。マスクをしていない人の方が珍しい。この頃はドラックストアでもスーパーでも並ぶようになった。平時のときよりは未だ価格は高いが、流通しだしたのは間違いないだろう。路上で「マスクあります」とプラカードを持って、販売をしていた事業者がいるが、あれを見ると苦々しい。需要と供給があるのはわかるので、それはいいのだが、大人が3,4人もいて、販売する。仮に時給を900円とすると、8時間で7200円。4人だと、28,800円。それ以上に利益が出るということである。マスクとか、今それで大儲けを狙うものなのか、疑問がある。ほどほどの利益じゃないことがわかる。未だ販売している事業者もいる。閉店セールという。仕入れすぎなんだろうが、苦い思いしかない。あれを見ると、僕はどうしてもつらいのだ。

茶飲み友達

お茶をする

お茶飲み友達。こういう人がいるといいそうだ。しかも異性で年齢が近い人。今日、そんな話を聞いた。ほんとにお酒を飲んだり遊んだりする仲ではなく、ただお茶をしてだべる。それがいいらしい。いる人の話を聞くと、めんどくさくないそうだ。男女関係になると面倒、酒を飲みに行くと負担。お金もかからないし、歳が近いと話が合う、それ以上もそれ以下もない、そんな関係。残念ながら僕にはそういう人がいないから、それがどうのこうのはわからないが、たまにお茶をするってのはいいかもしれないと思う。僕に趣味でもあれば、趣味仲間という中であれば幸いだが、趣味に生産性を求める悪い癖。つまり、ビジネス脳というか、なんだかね・・・。お茶飲み友達、いればいいのかもと思うお話だった。

農業体験とコロナ

各所で影響

農業もこうして生産が出ても、コロナで自粛と合っては、体験・観光もできない。だいたい5月の末でいちご狩りの最後になる時期だが、解禁とあって行ってみた。子供も少しずつ外へ出していかなければと思いつつ、かなり気を付けている。もしいちご狩りの予約で密な状態でハウスに入ることになると、やはり今は気持ち悪い。だから予約せず、空いてれば行ってみようということで、子供たちにも内緒にした。幸い、ハウスには我々家族だけであった。かなり農園も配慮している模様で、開園にもかなり気をつかっているようだった。話も聞くと、なかなか大々的に宣伝もできないし、ジレンマが続いている模様。農業にもかなりの影響がある。今回、訪れたのは、廿日市のある田原農園 。甘くておいしかった。体験・観光型を推進した農業の在り方は僕の一押しの考えであったが、コロナ時代、どう農業とも向き合うべきか、生きるすべはと考える。少しあり方も考えるべきかもしれないが、今のところ、名案がない。農業者にも話を聞きながら、自分でできることを考えたい。人と人が会うのが難しいが、できるだけ覗いてみようと思う。

 

著者 :
農山漁村文化協会
発売日 : 1999-04-01

コロナ時代の学費の私論

学業を続けるのかやめざる得ないのか

大学などコロナで急激に収入がなくなったなど、学費を払えないので、学校を辞めざる得ない人(そうしようとしている人)が2割はいるという。政府の支援策はあくまで、学業を続けるという前提の支援で、奨学金など「あとでそのお金を支払っていく」というものである。たとえば、今、学校をやめて、一時退学をしても、復学を認める(これはいつでもできるようにすればいい)というような向きではない。納入した学費を返還(すべてとはいかないにせよ)して、次のステップを踏めるようにするのも考えてもいいのではないか。裏読みすると、今回の政府案は大学など学校経営を守るためのものであって、学生支援ではない。そもそも学校に通うことは贅沢な行為であり、一応は義務教育までは、出来るようになっている。4年間のファイナンスをもって、学校経営を加味するならば、方程式が乱れることにもなろうが、今は平時ではない。今、学校を続けられないという人への手当ても考えたらどうか。続けることが美しいという議論はもうやめにしないか。いま・ここという時間は帰ってこない。でも、勉強はいつでも始められる。人生の体制を再整備にも目を向けてほしいものだ。

電卓の使い方

電卓にも操作の仕方がある

昔、電卓を使い始めたころ、いや会計の仕事に携わるようになってから、サッカー選手がサッカーボールとともにするように、電卓は常に横にいる。電卓にもカシオ製とシャープ製で若干使い方が違うのだが、ひょんなことで復習をした。たくさんボタンがあり、機能があるが、ああなるほどねということもあった。何でも宝の持ち腐れってことが多い。機会がなければ、向き合わないことは、その時々でしないといつまでもしないかもしれない。

 

子供たちの気分転換

 

緊急事態宣言解除

大方二ヶ月、自粛続きで子供たちもストレスがあったに違いない。またその二ヶ月、子供たちとべったりいた奥さんも大変だっただろうと思う。そんないろいろを考えて、子供たちと遠征。6月からは学校も始まるらしい。親としては悩みが増えそうだ。毎年、あるぺん屋にはお世話になっている。宿泊業もコロナで大変だが、是非、こんな素敵な時間と空間を提供してくださる場所は残したい。ここで経験することは、大きくなってから必ず活きるだろう。また訪れるまでのしばしの小休止。

人生で勝ってきた人

イライラが続く

コロナ関係もあり、イラついている。コロナのせいだけではないが、人生で勝ってきたひととの対応に疲れている。何をもって人生に勝ったのかという議論はあるが、ある程度の学歴・キャリアを持つ人に多く見られると思う。何が決定的にダメなのか。要は「答えを決めて話している」ことが相手にわかるということだ。自分の過去の経験や実績をひけらかすまではいかなくても、それを振りかざし、言うことを聞けという圧力。僕はそういうのは嫌だから、学閥にもつかない、僕はいつも無所属の位置づけを貫いている。人生に勝ってきた人は自信家が多く、それを人に押し付けがちだ。僕も自信家にみられるが実はそうではない。人への区別・差別が嫌いだからだ。僕は露天商をさせてもらってから、自分が変わったと思う。露天商の人たちと一緒にいると、世の中が見えるというか、そういう感覚になる。これは個人的感想だが、インテリと向き合うのは疲れる。人には区別・差別をしないというのが原理原則だから、多様でいい。ただ人生で勝ってきた人は人の心がわからないような気がする。僕は人生ずっと負けてきた。勝ちたいと思うが、勝とうと思ってたどり着かないけど。とにかく今、コロナよりそのストレスが大きい。ひとまずほっとこうと思う。今日のつぶやきである。

物思いにふける

散歩

コロナ戦争中なので、散歩しに行ってみた。いつでも行けるようなところは行かないから、いい機会だった。遠くから見ると、本通りも結構人がいた。宣言解除だから、自粛自粛というバカの一つ覚えにはならないだろう。第二波が来ると言われてるが、人々の動きは平時に向かっている。新しい生活様式に取り入れながら。補償も脆弱だから、生活のため仕事するだろう。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利…。憲法を学ぶいい機会かもしれない。9条だけではない。これからどうなるんでしょうか?いろんなことを思う今日この頃。

簡易製本

配本用

博士論文を脱稿してから、数か月たっているが、やはりコロナでいろんなことが遅れている。ようやく簡易製本をして、少しばかりの方に送るようにした。学位授与式もなくなり、終わりがこんな終わり方になったが、前向きに考えれば、ギリギリのところだったように思う。今なら審査会も延期、学会もないので、発表の機会も失われるなど、どう考えても前に進みようがない。1月末の審査、3月初旬の決定と考えると、ほんと最後の最後というところだったかもしれない。いずれにしても、コロナのおかげで、何かといろんなことができない。だから困っているが、そうは言ってられないから、少しずつペースを取り戻せないかと思うところだ。いずれにしても、まあひとまず感謝の意味を込めて、製本した。インターネットにも公開されるので、博士論文が読みたい方はプリントアウトをお勧めします。つたないものであるけれど。

私の日常

会計事務所にて

毎日、コロナコロナである。助成金、補助金、協力金・・・、そんな話ばかりである。緊急事態宣言と休業補償はセットと言われるが、その程度がやはり問題と思われるが、それでもないよりあった方がいい。不慣れな手続きは、事業者にはしんどいものだ。そのしわ寄せは我々にも来るわけだが、やはり簡素とはいいがたい。それぞれの理解度や準備の程度もあるので、やはり時間を要する。かとって、機械的にはいはいというように進むのではなく、伴奏して人の話も聞く。時間はやはりかかるものだ。日常でこなさないといけない作業も手を止める。急ぐ資金手当て。まったなしである。倒産というようにまだ目の前に(公表という意味で)あまり出ていないが、ばたっと表に出たときにどうなるのか。初動の失敗は否めない。それにしても、忙しいな・・・。