政治・経済

オリンピックはそれでもやるのか

決断の遅さ

オリンピックの開催の意思決定は、IOCかもしれないが、政治の決断のなさ、1年たってもあまり変わっていない社会。困ったもんだ。コロナ感染者もかなり増えて、ようやく無観客開催の決断。なんかめちゃくちゃだ。コロナに打ち勝った証のオリンピックや復興五輪といってきたが、そうなのか。何のためにオリンピックをやるのか、ほんとわからない。たぶんコロナ感染は拡大するだろう。その道中に選挙があり、ごまかす。そんな話になるのかなと思うと、お先真っ暗と思うのは僕だけか。オリンピックは無理ではないかというのが私論である。

そんな時期

早いものでもう4年

昨日、珍しく政治関係の人とお会いした。それも長時間、話し込んだ。昨日まで気づかなかったが、来年1月には職場の東広島市も市長選挙があるんだと。衆議院議員選挙は任期満了だから、間違いなく秋にはあるにせよ、こうした身近な選挙ももうまもなくあるのかと改めて気づいた。政治関係の人は河井問題があってから会いにくい。そして、昨日の不起訴。前例ができる信じられない判決。お金は配ってもいいが、もらってもいいそうだ。断り切れなかったと言えばいいということか。司法ももう終わった。この国は法治国家ではないんだと。選挙も何の意味があるのかわからなくなった。候補者としてやっていた純真な気持ちは無駄な営みということなのか。そう思わざる得ない。

各種の申請

みんな困っている

コロナで補助金や協力金の申請など、行政も仕事量は半端ないと予想はするが、それにしても補助金や協力金の交付が著しく遅い。そして、前に出した書類も再度添付があるなど、申請者に負担も多い。特に思うのが、補助金や協力金を自身でできない人も多いかもしれないと思うよう量や内容。外部専門家に頼まないといけないようなものはどうか。その外部専門家も特需のように報酬をとり潤う。その悪循環。困っているから、すぐにでも欲しい資金をまず申請でつまずき、給付も遅い。もうコロナになって一年以上経過するが、あまり進歩がない。今こそ政治家の出番ですよ。そう思うのは僕だけだろうか?

選挙について

もう8年が経過している

過去に住んでいる町の選挙に出たことがある。自分自身ではトップ当選するだろうと思っていたが、そう甘くない。落選。たった一人しか落ちない選挙で負けた。今でも選挙に出てくれと言われることがある。河井問題があってから、殊更声が大きくなってきたが、結論的には選挙には出ない。過去のブログでも記載した通り、8年前に審判を受けたので、僕をもっと必要としてくれる場所で、社会貢献はしたいと思っている。選挙に負けたことは今ではよかったように思う。野心もかなりあったが、民意で負けたんだから、民意で選んだ人を支援してあげてほしい。お金をもらった人を支援したのかもしれない。それも自分で投じた1票。これは紛れもない事実である。統一地方選が近づいているが、僕は出ないので公言をしておきたい。すべての候補者に敬意を払う。ぜひ悔いのない戦いをしてほしい、そしてよりよい社会の実現のために、働いていただきたい。

2転3転

迷走する対応

全国初のケースとして、広島市が緊急事態宣言が出て、それぞれが思いは別にして動き始めたという矢先、2日後、該当しないと。そこには至っていないという。西村大臣の会見では調整すると言っていたが、これはいつから始め、いつ一応の終わりにするのかという期間の問題と思っていた。周辺市町は対応がない不満や、業種の偏りという不公平感など、別問題をどう対処していくのかという次のステージの問題と思っていただけに、今回の決定はよくわからない。会見でいうべきではなかったし、ただ混乱しただけだ。悪夢の民主党政権と揶揄したが、今の自民党はどうなのか。政治不信が強まる今、もう少し真摯な対応をしてほしいものだ。

アメリカ大統領選挙について思うことなど

熱狂の大統領選挙

他国の大統領選挙にもかかわらず、日本でも盛り上がったような気がする。アメリカの人たちの熱量には頭が下がる一方、日本自国の選挙の盛り上げのなさを考えると恥じるところでもある。開票がすべて済んでいるにもかかわらず、未だすっきりしていないところもあるが、その是非は意見を避けるが、それにもしても、これくらい日本も自分たちの国に関心を持つべきと思える。ニュースをみても、国会会期中にもかかわらず、アメリカの件が多くを占め、コロナ関連である。国会の様子は学術会議のことだろうか。そう取り上げられているわけではない。政治の向き合い方は考えるべきではないだろうかと思うところだ。

大阪都構想について

大都市の在り方

先日、大阪都構想の選挙、2回目の審判が出た。否決。個人的には大賛成だっただけにとても残念である。神奈川県や福岡県など、たくさん同じような問題をはらんでいるだけに大阪がフロントランナー的役割を担い、統治機構を変える。かなり期待をしていた。大阪は特に西の中心、副都心的役割を担うべきで、この選挙は改革への第一歩だったように思う。維新の2トップがうまく連携しているのもあって、二重行政の問題も見えにくくなったと思う。それに加え、住民サービスの低下というが、どうなればよくてどうなれば悪いのかもあいまいなど、説明が不十分、その点わかりにくかったのかなと思える。今回の結果はとても残念で仕方ない。しかしながら、民主主義。民意として受け止めないといけないのだろうが、これからこのままでいいはずがないと思うのだが、どうだろうと思うところだ。

政治の不信は払拭できるのか

広島はどうなるんだろう?

読売新聞の記事から。河井問題で金銭の収受があるだろう政治家のリストである。真実はわからないが、もし本当にそうであれば、議員辞職は当然だろう。だんだん世界に慣れ、善悪がつかなくなったのか、最初に立候補した時の真摯な自分を見直してほしい。それにしても、めちゃくちゃである。もし全員、議員自粛したとすれば、また選挙である。今回、一掃して、志ある人が出てくるのではないかと期待する。世の中の価値観は大きく左右する。今回、わかったことは、票はお金で買うということか。お金があれば、政治家になれるという方程式の成立か。やはり政治にはかかわらないほうがいいのか、大きな疑問・課題を突き付けられている。

公職選挙法

経験者は語る

広島選挙区選出のK夫妻の公職選挙法疑惑のニュースが取り上げられる。コロナがなければ、かなりワイドショー、ニュースで取り上げられているに違いない。かつて僕の候補者をやったから、公職選挙法にはかなり神経を注いだ。今回、問題になっている運動員の報酬は、15,000円までとなっているが、法定通りの支給しかしていない。当時も安いとは思ったが、新人の僕は特に目をつけられえているだろうと考えていたし、僕の理念に賛同してくれた人が支援してくれたので、金額云々はまったく問題はなかった。また選挙民への年賀状の禁止や選挙事務所の湯茶以外の飲み物の禁止(実際、珈琲も入れさせなかった)など徹底した。たとえば、来年3月に選挙があり、年末に有権者に年賀状を出すのは禁止である(これも順守した、違反している候補者がいれば、選管へ)。今の時代と公職選挙法はマッチしているとは思わないが、やはりルールである以上、飲まざる得なかった。今回、全国をにぎわしている問題は、それが報道通り本当であれば、やはり失職になるだろう。政治家はなぜ、政治家へなったのだろう?初心を忘れず、地域、市民、国民などのために、社会に貢献してほしいものだ。

地方議員の存在

今こそ活躍の場だ!

地域から選ばれた地方議員。コロナの危機的な状況下、今、働かずしていつ働く。ほんとそう思う。臨時議会を開いて、条例や立法をし、地方でできることをやるべきではないか。正直、落選した身からすると、こういう発言はどうかとも思うが、まったくその気配がない。知らないだけならいいが、そうではなさそうだ。自分の住んでいる地域で、街頭演説はできないにせよ、街頭に立って、意見を聞くとか(集会は今はやめたほうがいい)、そんな動きもあっていいものだ。僕なら市町村のHPに各議員への意見を集めれるようなものを作り、そこで意見を聞く。子育て、介護、医療、教育、経済・・・・、それぞれに強い人がいるんだから、そこへ向けて、陳情を聞いて、少しでも反映させたらどうか。有権者の皆さんが議員を監視する。そこで市民が主体となる社会の構築をすべきではないか。地方議員しかできないこと、条例や立法をすること。地域のこと、一番わかっている人たちじゃないか。今こそ地方議員に遮二無二、地域住民のために働いてほしいと願う次第だ。