
ここは南国か、寒すぎる
お勉強、琉球大学へ。はじめて行った大学であるが、ここは遠い。バスで移動になるので、どうも沖縄は遠く感じる。今回、農学の目で確認したい点もあり、議論を重ねてた。この2週間、どうも体調を崩しているので、覇気がない。とにかく身体がだるいのである。熱もない。コロナでもない。インフルではない。今は咳が続き、体力を奪う。集中力も食欲もないとなると、重症である。そんな朦朧とした中でも、新たな知見も得た。学者としてもそろそろ終わりが見えてきた。次のステージへ進むか考え中であるが、僕のモットーはあまり固執しないことである。鮮やかに辞めることもいいのではないかと思うのだが、あれこれや考えて判断しようかなと。久しぶりの沖縄は勉強漬けで終わりました。

政治闘争
2日連続政治話である。103万円⇒国民民主党。教育無償化⇒維新。前者を切り捨て、後者をとれば、過半数。予算成立というシナリオを考えているようだが、まあ国民民主と維新がタッグを組んで、どちらも政策実現をしてほしいものだ。教育無償化といっても、その中身である。高校まではまず無償化は会った方がいい。次に3子以上は優遇策。大学、専門学校などは要検討か。高校は義務教育ではないが、ここまではいるかなと。大学、専門学校は行く、行かないはここはもう判断できる年齢、支援も欲しいが実際、現場にいると必ずしもその教育機関が役割を果たしているのかと思うとそうではない気もしている。いずれにしても、こういう話をするのが遅い。国民と政治家の意識の乖離は大きいなと感じる。動向を見守りたい。

123万円?
あの3党合意は何だったのか?103万円⇒123万円へUしたかもしれないが、178万円には程遠い。えらく少数与党を自負するわりに、自民党は強気である。まだ数年かけて178万円へのロードマップを出すのならいいと思うが、よほどしたくないのだろう。少し前は副業で労働を煽り働かせるように促した。働ければ、扶養は外れることもあるし。そうすると、国保、国民年金の負担も増える。103万円の部分をいじりたくないのは伺えるので、せめて30年前の物価水準にしたらどうだろう(無理なのはわかるが)?牛丼290円くらいだったし、マックのハンバーガーは60円だったと記憶する。学費もUPするそうだ、学生も働いて親に負担欠けまいと思うのは?少数与党になったとは言え、まだ数が多いのかもしれないとも思う。自民党がこの国は好きなんだろうが。

社会的地位向上に寄与するのか
日本語教師も今年度から国家資格になり、初の試験が実施された模様。対策が打ちにくいということもあり、様子見が多い聞いているが、どんなんだろう?できれば僕も来年度にチャレンジしたいとは思っているが、今年がどうだったのかも聞いてみないと。国家資格にすることで職場改善や知識増強などプラスに働くのか。疑問ではある。現場は精いっぱいの時間を割き、試験対策の時間を取れるのだろうか。いくら外堀だけUPしても、実態がついてこないと何ら改善しない。これを機に現役日本語教師は職を変えることもあるかもしれない。これからの人の方が希望の目はある気もする。過去に取得した人間からすれば、資格を流すのもどうかと思うが、この武器を人生でまた使うことになろうとは予想だにしなかった。人間的には器が広がる気もして、楽しみな面もある。今年の結果はどうなるんだろう。少し見守って、来年度の対策を練りたい。

大学の存在意義
少しは大学に関わっている者として、少し寂しい記事を読んだ。定員割れ、学力低下、頼みは留学生・・・。まあ現実。今、教えている学校はまさにそうかもしれない。僕自身が大学の教壇にそう魅力を感じていない。むしろ立ちたいのは高校の教壇である。何故ならば、高校が最後の教育を受ける場になるのではないか。そもそも大学に行く意味はあるのかと自問自答するからである。たくさん行った人間としては、自分の涵養を高めることにあって、自分自身の問題として受け止めてはいるが、僕の意識と周りの意識は異なるだろうし、出来れば苦労せず、大過なく過ごしたいと思う者が多いのだろう。苦労は買ってまでするものではないと思うが、それでも苦労するのだから、これも人生と思うのだが・・・。思うに大学と冠する以上は大学であってほしいと思う。それが実現しないのであれば、大学と名乗ることを辞めさせたらどうだろう?生き方はたくさんあるんだし。そう思うが、やはり悲しい記事かな。

初学者の入り口
たまたま昔、勉強した本が出てきたので、思わず読み直した。放送大学のテキストである。放送大学は科目数も豊富で、初学分野にはもってこいなので、つまずいたり、入り口で勉強を始めようとするものは、放送大学のテキストのコーナーに行って探したものだ。テレビ、ラジオでも無料で講義も見たり聞いたりできる。なので、フォローもできて、本当に便利だった。MBAのときに最初、ファイナンスがわからず、購入した記憶がある。今読み直しても、たぶん入り口とは言え、深いこと書いてあるので、すべて当時分かっていたとは思えないが、何とか理解しようとはしていた。ファイナンスに関しては、他にも読んだ。わかるようになった。使いこなすというところまでは行っていないかもしれないが、蘇るように復元できる。やはりわからないより、分かった方がいい。世界も広がる。そんなこんなで約20年前のものを読むと、「あの日、あの時」が懐かしくもある。何かと必死だったのだろうと思うなあ・・・。

ブロックパズルで把握
診断士や経営コンサルタントが好んで、ブロックパズルによってお金の流れを把握させ、決算書を読む技術を伝えている。売上から変動費と固定費を引くと、利益になるが、その利益の見方である。たとえば、10の利益が残っているとすれば、そこから税金を払う。3としよう。そうすると7が残るが、いわゆる税引前の利益。そこから減価償却の繰戻しを行う。キャッシュの支出がないからであり、お金が手元に残る。仮に5を足すと、7と5を足して12になる。そこから返済があるわけだ。借入に返済は経費ではないが。税引前の利益から支出がでることになるので、仮に6とすれば、12から6を引いて、残り6。ここから個人事業であるとすれば、生活費たるものがでるわけだし、次の経営資金に回すようになるが、お金の流れ、増減、動きをたとえ、ブロックパズルでなくても、経営者はそこは把握して理解しないといけない。会計が苦手な経営者に伝える一つの術と思うが、いずれにせよ、経営者自身が勉強すべき課題で、人任せにならないということ。参考に読んで見てたらいかがだろう?

手掛かりになるかもしれない
今年は今年でしなければならないことも山積しているが、来年、一つ取り組もうと思うものがあって、ツラツラ考えた。心理学的な概念を述べる必要があるのではないかと思い、手掛かりがてら読書。この先生は習ったことがあると思う。そもそも心理学は興味のある分野ではあったが、フラッシュバックのように戻ってきた記憶。一般書で書かれてあるので、導入にはもってこいの書籍、タイトル通り、とってもわかる本である。僕の課題解決の活路になるかも。

地上波の終焉
地上波をはじめ、オールドメディアの荒廃が加速している。明らかにこちらがフェイクにニュースとなり、メディアが選ぶ「正解」へ紐づけてきた今に「NO!」が言い渡された。東京都指示選挙からネット、SNSの活用とその情報ソースの重要度、見方が変わった。確かにすべてが正しいと言わないが、「いいこと」だけではなく「悪いこと」も発信して、有権者が判断する。明らかに地上波が足を引っ張っている。CMを打つ企業も今後は地上波に出稿すれば、企業イメージが下がるということにもなるかもしれない。今回、斎藤知事が圧勝、0打ちである。オールドメディアがほんとあり方を変えないと、見放される日は来るかもしれない。メディアの「正解」は、都合の悪いことを隠すのではなく、公正公平にさらに真実を伝えることだ。そこに欠如した答え、吹き溜まりが今回の選挙になった気がする。選挙のあり方も変わる。今回の旋風をどう受け止めるのか、さあ見ものである。

珍しく面白い記事
日本農業新聞で、結婚と政治家選びについて類似性を指摘した記事を見かけた。アルマン・サラクルーというフランスの劇作家の格言で、「結婚は判断力の欠如による。離婚は忍耐力の欠如による。 再婚は記憶力の欠如による」。結婚のように、政治家を選ぶというのか、これと比較したものも面白い。はじめて出会った言葉だが、どきっとした。「結婚はしてもしなくても後悔するものである(カフカ)」だそうだ。週初めから立ち止まり、読み返したが、確かに政党がわれたり、引っ付いたりということを踏まえれば、結婚と似ている気もする。それにしても、既婚者の僕は考える。「結婚は判断力の欠如」たるもの。そう、恋は盲目?さてどうなんでしょうかと思う記事でしたとさ。