目標がない
博士号を取得してから、学術面はだらっとした感じがある。糸の切れ凧状態。査読を増やすとかそういう類ではなく、明確な目標、これまで博士号をとるんだといったようなものがやはり自分のやる気のスイッチを入れるのは必要だろう。さて、久しぶり広島大学の図書館に行き、図書を借りた。外部の人間にはコロナ渦、なかなか入館にも厳戒態勢である。まあ大変なもんだ。かなり古い書籍で買いたいと思っていたが、ないので借りることにした。書庫に所蔵されていたのだが、パラパラと読んでみると、勉強になりそうだし、興味深かった。研究をはじめると、時間が欲しくなる。日常の仕事をやめたくなる。研究に入ると、集中する。ということは教員になっても、授業がうっとおしくなるんだろう。
こういう時間も持つものだ
数年に一度は鎌倉には行っている。鎌倉という場所がすごい好きであり、落ち着く街である。鶴岡八幡宮の近くにお土産の店が並ぶ中に、木のおもちゃの店があり、必ずと言っていいほど立ち寄る。そこで買ったものである。小さなころは遊び道具といっても、遊びかたがわからないものとかあるといけないので、単純だけど面白いだろうと思うものを選んで、お土産にしていた。これは見てわかるように、この積み木を落としてはいけない。うまくいけば落ちないというもので、結構楽しめる。長女が久しぶりに出してきて、やろうというのでやってみた。こういう時間もいいものだ。テレビゲームのような近代的な遊びもいいが、こういうのこそいいと思うのだが、古い考えだろうか?
いいもんだ
父の日。あと何年、こうして祝ってくれるのか。時の流れは速いものである。最近、殊更思うのが、やはり子供もだんだん大人へなっていき、自分の手元にいたのが離れていく。それを感じざる得ない。特に長男に関しては、自分がうっとおしいのだろう、それがわかるが、自分が子離れできない。小さい時の残像がどうしてもある。娘の二人はもう少し時間はありそうだが、性別が違うので、どういう風に父親の僕と向き合ってくれるのかはまだよくわからない。そんなこんなを思いながら、子供との時間を楽しむのは、あっという間に終わるのだろうか。父の日を素直に喜ぶ半面、今後のことも考えることがあるもんだ。
授業はいらない
近年、塾産業は非常に気になっており、できるなら事業をやってみたいと思うビジネスだ。子育て世代にいるのもあるが、大学教育にかかわっている自分の環境も大きく影響を及ぼしているように思う。様々な塾があるが、特に気になっているのは武田塾。近年、すごい伸びている塾であり、授業をしないのが特徴。参考書をベースに完璧に仕上げていくロードマップを示し、学習者自らが履修する。勉強する環境を作るということになるのか、これまでの三大予備校がやってきた映像授業などのスタイルとは一線を画す。自分がそこで学んでいないので、わからない部分はあるが、塾業界でここまで伸びているのはニーズと実績と伴っているわけで、注目をしている。少子化の流れはあるが、それでも一部はビジネスとして残る。どこに活路があるのか、考える事例であり、やってみたいと思うところでもある。
出れない反動
広島でも緊急事態宣言が20日で終了。まん延防止対策重点措置もないようですので、完全解除となるようですね。イコール安全宣言と解釈する人もいれば、まだまだ解除に至っていないと思う人もいれば、重点措置はやるべきだろうという人もいればということでまちまちだろう。僕は重点措置はやるべきかなと思うところです。さて、過日のランチから。東広島で長く続く、くろんぼ。僕が東広島にお世話になった以前からは続く店。懐かしいデミグラスソースがたまに食べたくなります。コロナになる前は、たぶんカツサンドしかテイクアウトはなかったような気がします。いつもランチ時は並んでいる人気ですが、久しぶりにおいしくいただきました。緊急事態宣言中はランチでさえ、お休みの店も多く、食事もどこで?と思うことありました。飲食店も厳しさは続きますので、どうなるんだろうかといつも思いますが、ひとまず解除される模様。人の動きはどう変わっていくのでしょうかね。
宮沢賢治の言葉
2月にラジオにも出ていただいた絵本作家の澤口たまみさんの新刊をようやく読むことができた。宮沢賢治の作品から30のおはなしから、植物や生き物に焦点をあてて、平易に解説を施している。SDGSなど環境問題を大きく取り上げられる今、賢治の言葉からどういうメッセージを受け取るのか。自然との共生を人間はどう図り、どう生きていくのかを示唆してくれる。言葉のチカラを改めて捉えなおすとともに、宮沢賢治と向き合うことのなかった自分にいい刺激となった。僕の場合、文学から農業はどうなのかということから澤口さんと接点を持つことができたが、読み直す(僕ははじめてのことが多いが)機会に、この書籍から読んでみるのはどうだろうか?
思わず手が伸びる
市場に行ったとき、朝食を食べる横が菓子問屋である。たまたま目にしたプロ野球チップスであるが、小さなころ、荒神市場で親父が箱ごと買ってくれていた。当時は30円くらいであったが、今は60円程度と倍の価格になっているが、カード2枚になっているなど、昭和の時代とは違うのだ。そんなこんなで懐かしさあって、箱ごと買ってみた。カードが欲しいばかりなので、子供らも僕の小さなときと同じ行動をしていたが、何かほっこりとする瞬間であった。大人買いは、子供にとって反則技であるが、たまにはこういうのも許してくれ。ポテトチップスも普通に食べろよ、捨てるやつ多かった(今も多いのかな?)けど・・・。
怠け者の特性
月曜日が来ると、仕事に行きたくない。よし!今週も頑張るぞ!って思えばいいんだが、そうではない。出来れば逃げたいと思う。眠るときは死んだように寝てるような気がするが、あっと言う間に朝が来る。加齢のせいかわからないが、前向きではないのかもしれない。もしお金がすごくあったら、仕事はやめるか続けるかという質問。よくあると思うが、僕はやらない。図書館行って、カルチャーセンターとか大学などで学んでなど、違う生き方を選択するだろう。仕事オンリーというのも寂しい人生だと思うし、ちょっと休んでみたい気がする。ただ休んだらもう体が動かない気もする。なんだかんだいいながら、今をやるしかないと思い直し、月曜日。コロナもあるから、暗い話の毎日、とくにそう思うのかもしれない。
土曜日の楽しみ
土曜日の朝にいけるときは、草津にある広島中央卸売市場へ行く。家で食べる魚をふんだんに買う。写真は過去のもの(→今回は取り損ねた)であるが、安く新鮮な魚が手に入る。市場に行くようになってから、飲食店へ行きたいと思うことがほとんどなくなってきた。市場の影響だけではなく、緊急事態宣言もあって体が慣れた。わざわざお金をかけて、外で飲むのも誰かと会うのも日中(ランチなど)で事足りするし、オンラインの普及した。市場は季節感も味わえるし、動向もわかる。また子供を連れていくことも多いが、いい体験、いい勉強になると思う。コロナが収まっても、こういう感じになるかもしれない。市場に行くのは眠いが、結構楽しみであるし・・・。まあそういう楽しみ方はコロナがあってからであり、平時は考えなかったであろう。今、市場に行くと、緊急事態宣言を感じる。購買の減少は半端ない。過去にも書いた気がする。一応、あと1週間。まん延防止へ切り替え?もういいのではないかと思うのだが、どうだろう?もう疲弊感半端ないよ。
時代か老害か
時代はクラウド会計に。たぶん間違いないと思うが、出てきた当初に「これだ!」と思ったが、使い勝手も悪さもあって敬遠した。改めて「クラウド会計」と向き合うと、若い人にはいいのかもしれない。スマホで領収書の処理が容易にできる(これは便利だと思う)、見積・請求・領収⇒会計への連動など、一通り見たが、僕にはやはりやりにくいが、たぶん使いこなせる若者にはやりやすいんだろう。なぜやりやすいのかというと、堅苦しい「会計」という技法をあまり感じさせず(やはり会計なので、当然に全くないわけではないが)、会計処理ができる利点はあると思える。すべてに賛同まではいかないが、時代の流れを感じるシステムである。柔軟に導入ができない中年、つまり僕であるが、老害かもしれない。まだまだわからないことだらけだが、間口を広げる必要もあるのかなと思う。