2022年 の投稿一覧

46回目の誕生日

人生を稼働させたい

まずは丈夫に産んでくれた母親に感謝したい。自分が祝われるが、やはり母親に感謝をする日として、誕生日という日はあって、そのことは子供らにも継承したいと思っている。さて46回目。一皮むけるようで向けない人生を過ごしているが、どうすれば僕自身が満足のできる人生なのか、納得できる人生なのか、その解決のキーはよくわからない。近年、歳をとったこともあるだるうが、できるだけ穏やかに生きたいというのはほんとに思うことである。すごい前に記憶に残っていることがある。テレビでご活躍の林修先生が47歳になって、ようやく人生が動き出したと言っていた。自分が表舞台でようやく出れて活躍しはじめることができたと実感したんだろう。そうなると、46歳の時にはその予兆があるということで、そうした1年に僕もなるだろうか。僕の活動領域は広くなっているが、それはそれで「有機的」に繋がってくる。僕には僕の「基準」で生きる。だから人生の「文法」はない(よく人生論を語る人はいて、僕に説教じみたことをいう人はいるが・・・、自分のことは棚に上げて)。あれこれ今年もやるだろうが、そろそろ成果も欲しい。中年の星となれるように頑張っていきたいと思う。

 

2022年11月30日、東広島の地にて(写真は北海道藻岩山(2022.8))。

逆行も真なり

魔法の道具

今どきの授業はPPTを中心として、プリント配布など前もっての準備をもって、そして受け手(生徒)のたくさんの「情報量」を得る。受け身の姿勢になりがちと思える。なので、昔ながらの板書スタイルがたぶん授業に適すると考えており、ここで思考しながら、自分の頭でも整理するといいのではないかと思うわけで、時代とは逆行しているのは理解の上で進めている。プリントも補足では配るが、必要以上に情報を与えることは、基礎基本の幹がぶれるような気もする。あれこれの2年目も中盤から終盤へ向かっている。今年はコンパクトに進めているつもりだが、どうだろうと思う今日この頃。

鳥取へ

見せておきたかった場所

中国地方とは言え、鳥取はかなり遠い。どこかで気持ちも遠くなる気もするが、ようやく子供たちにも鳥取砂丘に連れていくことができた。たぶんここは想像と全く違うだろうし、来ないとわからないところはあるのではないか。そんな場所に違いないと思う。よき田舎が残る鳥取県。また訪れたいと思う。

時間の使い方・再考

平等な時間

365日24時間。これはみんな平等であるが、その時間の使い方ひとつで、幸せの尺度は大きく異なる。家でダラダラ過ごす。こんな時もあるだろうし、朝にフォットネスクラブにいって、健康つくりに努めることもあるだろうし、仕事終わりに交流をすることもあるだろうし、さまざま。今日は実家経由、温浴施設へ行ってみると、充実する感じはある。こういう一日の使い方もいいものだなと改めて思う。あれこれをどうリセットし、スタートを切れるか。忙しい毎日をどう過ごすのか。重要な問題である。

休日にランチ

通り過ぎていた場所

用事があって、湯来方面へ。湯来方面に行くと通る道であるが、団栗亭にはじめて寄ってみた。知らかなったが、どうも古くからある人気店のようだ。ひっきりなしに人が来る。昔ながらの喫茶店で居心地のいい場所であった。ランチもなかなかおいしくいただいたが、こう考えてみると、灯台下暗しということは多い。普通に通り過ぎるところに自分の知らない場所があるという現実。もっと近くにいろいろあるかもしれないと改めて思う出来事であった。なかなか休日と言ってもそんな感じで過ごせないせわしい毎日である。

岡山での交流

2年目の岡山にて

授業の行き来はあっても、岡山で一杯という機会はほとんどない。コロナ渦というのもあるが、こうした機会はもっとあっていいだろうにと思う。岡山はほんと縁がなかったが、大学で教える機会に恵まれてからは、気持ち的にも近くなった。今回、中国学園大学の先生方と一席、設けていただいたが、横がなかったので、ほんとよかったように思う。これだけ分野が違うとまたいろんな話もあって、面白いものだ。岡山発で21時23分で帰ったが、11時前には家に居た。通勤圏内だなと改めて思う距離感である。

会計学を教える

やっぱり今年もこれ

発行年は古い教科書になるが、2年目の会計学入門も昨年同様に進めている。書き込み式のテキストをたどりながら、必要事項を板書して、自身で考えさせてといった運び。簿記入門というのが前期で用意されているが、受講していない人もいるので、簿記の復習もする。しかしながら会計理論を少しでも習得できるように板書も工夫しているつもりである。もし会計入門というタイトルの講座だと学問はしないだろうが、あくまで会計「学」入門となると、会計学を教えることになる。今年もあれこれ目を通したけど、しっくりこない。今の大学ではこの教科書が一番フィットしていると思っている。教える方もいろいろ考えてはいるが、学生はどうだろうか?だいぶ教科書も終わりに近づいてきた。年内には教科書は終わりそうだ。

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著者 : 友岡賛
有斐閣
発売日 : 1996-04-01

突っ走るときと立ち止まるとき

忙しいなあと思う

とにかく1日が早い。すぐに昼が来て、夕方が来る、そして夜、そして寝る。翌朝という感じで何をやって、何が成果なのかもよくわからないが、走馬灯のように時間が過ぎる。これが充実しているのかどうか、それもよくわからないが、とにかく忙しい気はする。確かにあれやこれやしている。あれやこれや。何か化けそうな気もするしと思えば、いっちょやってみるかと思うし。優先順位をつけながら進めないとと思うし、一つ終われば2つやることが増えているもするし・・・。まあいろいろだなと思いつつ、毎日が過ぎる。

論文によって正当に評価される

論文以外に得るものはない

読めばわかるとある学者に言われたことがあるが、僕もそう思う。学会に行こうが、そう得るものはない。なので、そんな時間があるならば、文献を多く読んだ方が効率も良い。久しぶりに星野先生の文献を読んだ。学生時代はあまり合った方の先生ではなかったが、自分の成長もあるのか、素直に読めた。文章的には特徴的な文体であるが、会計学をしっかり向き合う姿勢が見て取れる。簿記の軽視という考えだったところは今でも会計観が合わないが、財務会計のルールや理論と向き合う点は参考になることが多い。残念ながら、数年前に亡くなられて、もう議論することもない。ただ残された論文から学ぶことも多いというのは、学術的に功績があるともいえる。

 

塾の言葉

慶應義塾に戻る

先日、読んだ友岡賛先生の著書「会計学を索ねて」の最後の言葉は以下のとおりである。

慶應義塾は早くからして封建的な師弟関係を排斥した。もとより、この塾に師承伝受などのあるべき筈はない(高橋誠一郎)

どきっとした終わり方で本が終わるので、先生にもびっくりしたという話もしたが、慶應義塾という場所はそうなのかもしれないと思う。塾員として見ると、こういうことだったのかと思う。学部では分野違うし、接点もない。だから師弟関係よりも独立自尊の精神というか、その人だけに扉は開かれている。そんな気がしてならない一説である。本題の中身も会計学面白いが、最後にこの言葉で締めるセンスも素晴らしい。