左脳

学者の作法

久々の査読論文投稿

学会嫌いの僕は、学会に論文を投稿するというのはもうないかもしれないと思っていた。理由あってしているわけだが、コメントが返ってきた。結構厳しいかなと思っている次第。農大で博士号をいただいてから初になるが、ある程度整っているのではと思っていただけに、う~んと思うところもあるが、これは言っても仕方ない。直すしかない。学会の査読には、読み手が匿名であることやそもそも読み手が読解する学力があるのかどうかを疑わしく思っており、僕はフェアな場ではないと思っている。だから好まないわけだが、その場にはその場の文法があるので、そこは守らないと進まないわけで・・・・。学者にも作法がというところですな。

司書という専門職

ペンは剣より強し

学術研究にて、調べても自分では能力が及ばないことも多い。なので、最近は司書の方に相談したところ、いろんなことを教わる。昔、司書はいいなと思って、司書講習を受けてと思ったこともある。司書の仕事も本来は向いている仕事な気はするが、ほんと助かるものだ。調査検索の仕方が違って、僕でも引き出せない情報を教えてくれる。かつて図書館情報大学という学校があった。今は筑波大学と一緒になったが、こういう特徴のある学校に行けば、もっと違う人生があったかもしれない。司書はふたたび興味の涌く領域のものとなった。あれやこれや頼んでいるので、仕事を増やして申し訳ないが、研究者もどきとしてはやはり解明したいのだ。

 

財務諸表論

書籍謹呈

税理士試験向けであるが、第14版の財務諸表論の要点整理を頂いた。試験向けと銘打ってあるが、中身は充実、コンパクトにまとまっていた。学び直しにちょうどいい。この書籍、税理士試験とか銘打たない方が多くの人に目に触れるかもしれない。しかし、14版までいくということは評価を得ているのに評することでもないか。それにしてももっぱら会計系は読むことが少なくなった気がする。農系が多いわけで、純粋な会計学者ではないということの証左か・・・。頂かないとめくることもなかったかもしれない書籍だが、これはほんといい内容であった。そもそも会計学でいいなと思うものが少ない。だからなおさら貴重。

 

 

 

畜生!

忙しさに輪をかけて

論文の校正が届いた。いつも忙しい時期に来るので、時間がほんと取れない。正確さも欠ける性格なのに、輪をかけて加速する。いかんぞいかんぞと思いつつも。研究者もどきとしては、やはりいい悪いは別にして、論文を出していくことが必要に思う。僕にも意地があり、何が何でもというところで壁を越えようと頑張っている。自分自身との闘いである。今年度は2本。そのうちの1本が手元に。あれこれあるが、ここは踏ん張り時である。それにしても、パソコンばかり見ているので、目が疲れている。身体より目。寝つきも悪いし、脳も疲れているのかもしれない。さすがに歳を感じる。校正も締め切りまでには何とかやりきらなければと思う今日の朝。

インボイスはどうなんだ?

実務大敵!

仕事の工数がかかりすぎる。こんなにやらないといけないことが増えているし、これ、できる?っていう理論と実務の乖離が甚だしい。これなら素直に12パーセントにするとか、複数税率を辞めて、一律10パーセントに消費税をするなど、租税の原則である簡素へ立ち戻ってほしい。計算様式が変わる、書式が変わる、非常に手間であり、ほんとインボイスは廃止してほしい。政治資金規正は緩いが、国民には厳しい。これ、考え物。複数税率を取りやめ、インボイスを辞める。ほんとにやった方がいいと思う方策。

自分で自分を見直す

博士論文を読み直す

冒頭の個所のみだが、改めて自分の博士論文を読み直した。なるほど自分で書いたのに、やはり吟味しながら書いてあるなと思うところで、自分の論文が参考になった。過去の残したものではあるが、改めて見ると、いいものだ。これを温故知新というのだろうか。どこが参考になったかというと、後に続く章立てにうまくリンクするように書かれているし、この論文がどういう展開を望んでいるのかがわかることだ。そんなことを思いながら、自分のことを自分で学ぶという所作に面白いモノだなと思った次第。今日の日記。

締め切り間近

ここは踏ん張り時

年末年始にかけて、論文を2本提出する予定である。手直し等を含め、大詰めである。なにせ年末だから、何かと忙しいし、電話、メール、来客等・・・・。重なるときは重なるものである。しかし、どうしても論文は出さないといけない。研究者の端くれとしては、論文を出してなんぼである。いい悪いというのもあるが、一区切りして、前に進む。その繰り返しである。今回、だいぶ煮詰まってきた感じもあり、今後、まとまってくるのではないかという期待感もある。それだけに一歩一歩進むしかないと思うし、ここは踏ん張り時だと思う。頑張った自分しか助けてくれない!

論文の書き方

今更ながら

わかっているようで、わかっていない。今年は論文について、そんな学びを得た。相手に伝える方法というか、どういう切り口で論理を展開していくのか、当たり前のことが出来ているようで出来ていなかった。最初の入り口というか切り込み方が悪い。着眼点もある。そんなことを考えると、改めて気づくことが多かった。学術研究というのもしんどいものだが、何か越えたいと思いながら頑張っているのが現状である。まあ博士取ったからといって、安住できないな・・・。また文献にもまれて、近づいてきた期限と戦わないといけない。まあいろいろ考えるな・・・。

僕にとっての農業会計学

論ずる内容

農業会計学を一応、専門としているが、より深く考えてみると、僕の中での「農業会計学」というのは結論がついたのではないかと思う。改めて何を論ずることが今のところ、ないのではないか。つまり、関心や興味ということもあるが、ひとまず博士論文で仕上げたことが今なお、僕にとっての「農業会計学」ということでおさまりがつく。完成度が高いというほどではないが、確かにこうだと自分でも思えるので、それでいいのではないか。そのときに次のステージにうつることになるだろうし、劇的に状況がかわらない限り、今現在は現在完了ということになろうか。やり切ったという感じでもないが、やり切ったと言えるのかもしれないなと今更ながら思った日々雑感。

タイトルにひかれて

僕からしたら斬新

会計学を大学で教えている身からすれば、「会計」とあると反応する。パブロフの犬ではないが、ブックオフによった際に見つけた本である。基本的には買う前は目次程度でも中身を見て買うが、この本は価格も見なければ、中身も見ずに購入した。何故か、「会計。」というタイトルはストレートで斬新、とてもいい。副題はあるが、それは付随したもので何か期待されるものであった。もう一つは、研究者をやっていると八田先生のお名前は聞いたことはあるもので、素直に学んでみようと。そんな話である。中身である。会計大学院のことを含め、会計プロフェッションの育成について真摯に意見を述べられている。会計軽視にある状況に看過できない、あるいは危機感を抱いていることが十分に伝わる内容であった。会計プロフェッションの育成までいかなくても、会計軽視というか会計の重要性といったところを教えられれば(学生に伝われば)と思うが、果たしてどうだろうか。コラムでいいので何か、こういうお考えをさらに公開して読みたいと思うものだった。