日常

文字を書くこと

言論ーどう変容するか

今日の日本農業新聞、内田樹さんの記事は非常に灌漑深いものであった。文字を打つ時代になり、言葉、すなわち言論が変わっていく様を指摘している。中でも「文字を書く速度と思考の速度が同期していれば、その人の情理が行間ににじみでる。身体を使って文字を書くことの「味」はそこに存在する」という一文は訴えてくるものがある。確かにパソコンやスマホでの文字打ちは定型化するような気がする。思考そのものを排除しているかもしれない。国語力をどう鍛え、蓄積し、能動的に発信できるように素養するか。言葉の重要性を再々度考えさせるいいな用の記事であった。

 

学級閉鎖

猛威を振るう

次女のクラスに続き、長女のクラスも学級閉鎖となった。どうも風邪が流行っているらしい。インフルもあるだろうが、コロナもあるんだろうなと予想する。それにしても、僕らのときはそのような記憶もない。まあ困ったものです。今の時期、僕は繁忙期のため、風邪などひいている余裕もないし、ひいても出勤。誰かの代わりがいるわけもない。大手とは違う、そう考えると、代替の効く公務員はやはり恵まれている。あれこれ言っても仕方ないけど、早く収まってほしいなと思う今日この頃。

15歳の選択

ああしておけばと思うものだ

明らかに自分の人生を振り返ってみても、高校での受験失敗が尾を引いている。未だにそれを払しょくできない。できれば、大学へ行くよりも高校に再入学して、自分にケジメをつけたいと思うものだ。それを引きずりながら生きるような人生を子供たちには負わせたくないとは思っている。この前、読んだ放送大学の学生の記事から放送大学のことが気になって仕方ない。その記事は放送大学で夢を叶えようとする学生のもので、彼のようにそれを追ってみたいと思うものだ。放送大学のHPを見ると、15歳から学べるようになっていて、一定の単位を取れば、4大への学籍を持ち、卒業までできるようだ。つまり、高校に行く必要もなかったと考えると、放送大学にお世話になって生きるのもよかったのではないかと思う。術を知らなかった、無知であった。そもそも団体行動、集団行動を苦手とする自分とすれば、最良の選択であったのではないかと思うのに・・・。今更、言っても仕方ない。やり直せるなら、中学生からいつも人生はやり直したいと思うが、そうはかなわないから人生なのである。今が大切。大学にはたくさん行かせてもらったが、放送大学はいい大学だなと思うんだな。これから進学者は増えるだろう、社会的価値が高いと僕個人は思う。

 

陶芸と絵画

ふたたび長女

2、3年前あたりから陶芸教室に子供は通っているが、黒瀬にある保田窯へ。今年は僕自身が予定が取れず、2024年初参戦。たくさんの方と一緒に陶芸を一緒しました。保田窯の先生が洋画家でもあるので、長女の絵を少し見てもらいました。親としては長所を伸ばそうと思っており、手掛かりを探っているが、いいご指導をいただきました。絵画も学んでみたらどうかと思うところ。これは親が強制するものではないが、プロに学ぶ機会もそうあるものではないので、いいと思うんだけどな・・・。長女は素直に学ぶ姿勢があるので、伸びてくると思うのだが・・・・。親バカなところは確かにあるが、学校では絶対できないことを親が環境を作る。それは親の務めでないか。そんな日々雑感。

100色の色鉛筆

感受性を高めて、想像力を養え!

長女が最近、よく絵を描くので、100色の色鉛筆を買いに行ってみた。嫁の血だろう、子供3人とも絵は上手い方と思うが、感受性の高いうちに感性を育てることは大切だと思う。100色もあるとインパクトある。まずは与えてみて、子供自身に考えさせてみようと思う。最近、殊更思うが、問題意識を持つ、そして問いを設定して、検証、答えを導き出すというのは、実は論文の作法を同じである。絵画という問題意識、その武器を親が与えたが、それぞれがどう表現して、絵という答えを導くのかと考えるならば、これからいろんなことが社会で起こっても、課題解決力を養い、応用が効くと思っている。子育てに正解はないだろうが、まずは親から問いかけを与える。100色の色鉛筆は想像外だろう。微妙な色から世界を学べ!

オーバーヒート

掌に自分がない

さすがに疲れている。仕事が山積み。減ってもさらに増える。工数が増え、自分の能力を超えている気がする。バランスがとても悪い。今週は最悪である。忙しすぎてほんとイライラしており、人にもあたってしまうし・・・。そんなこんなで少し気分転換して望みたいと思う次第。

キャラが立つ

発信源

一時期、ブームになったゆるキャラ。くまもんにしても、ふなっしーにしても、これらの経済効果はとても大きい。軒並みいろんなところで出現したが、根付いているものもあるし、知名度が低いものもある。そう考えると、取り組み自体はいいが、その発信の仕方で随分、違うことは伺える。改めてゆるキャラを見ると、どのように活用する、発信する、いろんなことをふと考えてみたりした。キャラが立つ。何かいいシナリオがあり、ブランド化にならないか、こうした点から線へと思うものだ。日々雑感。

言葉を残す

非常勤講師からの言葉

学生であった頃に、非常勤の先生によくしていただいた。僕が今、その立場であるから、そういう存在でいたいと思っている。ある先生と。いろんな話をして、最後に手帳を出してくれと言う。そして、二つの言葉をくれた。①自己を醇化せよ、②未分化に耐える、この二つである。若かりし頃の僕は「醇化」という言葉は知らなかった。何となくは読めた。聞いてみると、帰ってから自分で調べなさいと言われた。はっとしたのを覚えている。この言葉はいまだに心に残っている。20年以上も前。この言葉の問いに答えられているだろうかと思うが、大学の教壇に立ってからは、ふと思い出す機会が多くなった。

ゆく・逃げる・さる

早いものでもう2月

今日は息子が学校で平和記念館に行くそうだ。学校で行くだろうと思って記念館は連れていっていない。いい学びに期待しているが、それはそれ。時の流れが早い。1月は忙しすぎて、時間に追われるだけ。もう2月である。振り返ると、結構、タスクをこなしたつもりだが、それでもまだたくさんやることが残っており、残ったうえに加算される。悪循環なのかわからないが、そんな毎日。気分転換をうまく図ろうとしているが、それもすぐかき消される。まあこのシーズンは、仕方ないか、2月戦線、スタートです。

離婚について

いろいろ思うな・・・

既婚者なら何度かは離婚については考えたことあるだろう。僕も離婚を考えたことがあり、一歩手前でとどまった。子供が悟ったのである。切り出そうとしたスキマにうまく言葉を発したからである。それ以来、離婚については考えたことがない。近くの人でどうも離婚するのではないかという姿を見た。もう家に車が泊まっていない。家にも明かりがほとんどついていない。昨日、その家に車を見かけた。しかし、家の前には止めず、近くに車を止めるのだ。そして子供が家へ走り、たぶん何かモノを取りに来たのだろう。何かせつない気持ちでその光景を見た。子供が可哀そうと思うわけで、いわば被害者だよなって。そんなことを思った。ある人が僕に言ったことがある。「どうせ夫婦でいるんなら、仲良くやった方が楽しい!」とまさしくそうである。そんなことを言いそうにない人が僕言ったことを思い出す。聞くと、たまに夫婦でランチをしたりしているそうだ。旦那さんもえらい(僕はしていないが・・・)。いずれにしても、いろんなことあるんだろうけどな、人ごとにしかならないけど、既婚者としては身が引き締められる思いであった。