その他

書斎を作る

本があふれる

結婚をしてから、実家にほっぽり投げてきた本をようやく移動した。箱にして30箱。これだけでも入りきらず、だいぶ処分した。恐ろしいことにまだ自分の家には同じくらいは本はあり、これをどうするのか、もう入らないし、ひとまず住まいに置いておくことにはなろうが、それにしても多い。写真は漱石の研究書。農業会計で博士を取得したが、やはり研究者をやるのなら、最後は文学をやりたい。ただもう少し自分の中で社会科学でやり残したことがあり、それをきちんと区切りをつけてからになると思う。それまではやはり封印。少しは文学研究書も読むが、やはり日常で研究した人にはかなわないだろう。だから楽しめばいい。漱石研究だけで300冊はある。コロナ時代、文学が与えるものは大きい気がする。書斎はなかなかいいものだ。ここで寝泊まりできるようになれば、さらにいいとは思うが・・・。

オンライン飲み会

不要不急の生活

コロナで生活にいろんな制限が課されている。また1か月、緊急事態宣言も延長をすると言う。僕も限界に近い。そろそろ「えいや!もうええわ!」って人も出てくるのではないかと思う。休業と補償もない中、生活もしていかないといけないわけだから背に腹は変えられないわけだ。いろんなことがまだまだ起きるとは思うが・・・・。さて、こういうコロナ時代にオンライン飲み会たるものが流行っていると聞く。僕もばかばかしいと思っていたが、やってみると結構面白い。会えないのは寂しいが、各々の家で、それぞれの食べたいもので飲みたいもので・・、終われば、ここは家。移動も必要ない。映像もわりかしいいもので、表情もよく見える。アフターコロナになっても、続くかも。外食は変わっていくのか、コミュニティも変わるのか。オンライン飲み会、一度はやってみたらどうだろうか?

片付け

論文の考え方

実家を整理していたら、こんな本が出てきた。大学に入ってからも論文の書き方など、何個か読んだ記憶がある。その際に古本屋で買ったのではないかと思う。買ったとは言え、読んだ形跡が全くない。どうも気になったので、読んでみた。高校生が学ぶにはレベルが高いような気がするが、論文とは何たるかとことがきちんと書かれている。論文設計の表を用いて、問いと答えを緻密に構成する手引きがなされている。ちょっと古い本だが、いい内容と思える。論文を書く身になって、やはりセルフチェックが必要である。いつもバックトゥザベーシックを忘れずという点で戒めなければならない。なんでもそうだ。いい機会になった。是非、一読を!

 

友の死

感情が整理できず・・・

大学院時代の仲間の急死、聞くところによると、死因はくも膜下出血のようだ。29歳のときに、大学院で知り合い、14年の付き合いになる。毎年のように旅行し、大阪で広島で全国いろんなところで一緒した。ビジネスも一緒にやったり、大学院の同窓ではかなり密な関係だった。歳は9歳上であったが、あまり年齢差も関係のない、気さくな男だった。あまりに急であるのと、想像もつかなかった。しかも2日前もテレビ電話をしていたし、そのときは元気そうだった。誰からも好かれる人間で、思い出はたくさんある。また僕の仲の良かった人がいなくなった。未だに信じられない、受け止めきれない。去年の旅行に一場面より。ありがとう!木原強!木原ちゃん、さすがに悲しいわ。

人生の棚卸

自粛が続く中で

あまり外も出られないから、家の片づけを少しずつしている。かなりの本が家にある。実家も結婚前とかわらずそのままにして出ているので、実家にもある。実家は文学が中心に。今の家は、農業会計が中心になろうか。まあずいぶん増えたものだ。この際、書斎を作って、そこへすべて所蔵しようかと思っており、まずは実家から始めたが、それにしても過去の自分もいろんなことを考えていたんだなと感じることが多い。最初は文学理論や漱石研究などわけて、段ボールづめをしていたが、途方に暮れて、ひとまず整理に変えた。そして読まないであろう書籍も今回、売ろうと思い、これも別枠で箱詰めし、意を決して売りに出かけると、営業自粛。本屋は営業自粛だっけと思いながら、まああれやこれや。はっきり言えば、まだ実家で30%程度で、まだまだ時間はかかりそうだ。それにしても、漱石研究をあきらめなければよかったかもと思ったものだ。かなりの研究書がある。漱石研究者と思われても、たぶん違和感ない。コロナでいろいろ考えることもあって、そうは明るい未来があるとは思えない。だから残りの人生、好きなことをして生きたほうがいいのかも思い始めている。僕は好きなことをしているようで、やはり統御された人生のような気がする。人生の解放区があるのだろうか。心の整理整頓は、人生の棚卸をしているようだ。今回、いい機会ととらえて、見つめ直したいと思う。

テイクアウト

ステイホーム

コロナで軒並み、営業自粛が広がっている。飲食店も静かに足並みをそろえているが、やはりにぎわいがなくなり、寂しいものだ。コロナとは言え、みんなのイライラも、自分もイライラ。かり蔓延しているように思う。飲食店は閉塞打開の一手として、テイクアウトに力を入れている。力を入れるのはいいが、テイクアウトをするにも許可がいる。3類の仕出しの許可を保健所にとらないといけないわけだが、これをとらずに、コロナ危機だからとすすめているところが多い。コロナで危機なのは承知しているが、保健所の取り扱う食中毒の類は別物であり、やはりここは規制がかかるのではないか。この前も寿司やが食中毒が発生したとも報道があったが、是非ともこの点は、きちんとした体制をと思うものだ。テイクアウトは家で過ごしながら、外出した気持ちにも少しはなれる。たまには家庭でもいいのではないかと思う今日この頃だ。写真は炭火焼肉黒焼 のオードブルである。

勉強法

時間がない?時間ある?

日々、時間がないないと生きてきたように。いや言い訳をしていたのかもしれないが、やりようがないことが多く、その分の時間があるのかもしれない。だから仕方もないし、勉強でもしようかなと。勉強を日ごろしていないとも思わないが、がばっとやろうかなと思いはじめている。ピンチはチャンスか。オンライン飲み会とかはやっているみたいだが、どうも家でお酒を飲むというのが気が進まない。盆正月程度しか家でお酒と思わないもので、どうしても飲みたければ外へ出る。毎日、お酒が欲しいほうではないし、まあ今回を機に生活を変えていくことも考えなければいけないかもしれない。

 

 

大学の差

危機対応

僕は大学というところには何か所も通わせていただいたし、学術研究などから大学とのかかわりはある方だと思う。今回、いろんな大学を見て、お粗末な学校、素晴らしい対応、学校の差がはっきり出ている。事務局の対応なんかははっきりわかるものだ。ダメな学校はほんとひどい。今回、素晴らしいと思ったのは、慶應義塾大学SFC(https://www.sfc.keio.ac.jp/news/014513.html?fbclid=IwAR27DRlDmbH8m7uqn7I4llLrKihAx2pymVs7RevyNapjJWs-lUMfAp2mb3c)良ければ、サイトを覗いてほしい。

 

新入生・在学生のみなさんへのメッセージ

環境情報学部長 脇田 玲

家にいろ。

自分と大切な人の命を守れ。

SFCの教員はオンラインで最高の授業をする。

以上。

という短いメッセージだが、十分に伝わる。親になって特にわかるが、こういう学校なら、一生懸命働いて学費出したいと思う。生活が苦しくても。一方で、こんな学校なら行かせたくないという学校も明確に分かった。これは大学にある風土や文化が露出したと思える。大学もいち早くオンラインを導入し、なんとか暗中模索の中、頑張る学校。ただ延期ということで指をくわえている学校・・・。役務の提供をしないのなら、学費は返すべきと思う。皆さんはどういう学校にいたいのか。これからは変化に対応ができる学校が生き残る。大学が過剰な中、どうするのか。僕はこういう危機的な状況化、対応をどうするのかを冷ややかな目で見ていたい。

 

困難の中にどう立ち向かうか

それでも前に進まないといけない

僕は人間ができていないので、なかなかその境地までたどり着けない。その境地とは何か。今の状況化、これからのアフターコロナに備えて、今、十分に力を蓄え、よくなったときに飛躍できる体制を作る。努力を今こそすべきだということ。漱石にしろ、ロンドン留学で。鷗外も小倉左遷で。苦境の時に踏ん張ったし、自分自身と格闘したわけだ。今、そんなときなのかなと思う。前向きにならないといつも思うが、毎日毎日、コロナのことで世の中暗い話ばかりである。だからこそと思うが、そうならないのも人間の姿なのか。いずれにしても長期戦が予想される。つまり、やるしかない。思いを新たに思う次第。文学はやはりいろんな示唆を与えてくれる。

 

勝ち組思考

負け犬の遠吠えか

生きていると勝ち組と負け組と人生を識別する人がいる。もしその区分に当てはめると、僕は人生、負けっぱなしのまま、人生の半分を生きた。ユングは40歳を人生の正午といったが、43歳の僕は今、人生の午後を過ごしていることになる。その午後になって、やはり殊更、思うことは人生で勝ってきた人は、人を見下したり、区別したり、説法したりと人の気持ちが分からない人が多いような気がする。だからあまり僕もインテリが集まるところにはいかない。好きではないからだ。人生はいい方がいいが、それぞれ価値観も違う。負け組にも負け組の意地がある。かつてお付き合いのあった先生も明らかに人生の勝ち組で、俺のようにやれば成功するいった方程式を解く人だった。その周りの人は幸せになったのか。僕はその人といて不幸せになったので、合わないことにしたし、没交渉にした。社会情勢が不安定の中、僕自身も生き方を問われているような気がする。もう40歳を過ぎて、考えるわけだ。残された午後に生かされた社会にどう貢献できるのかと真剣に問う毎日である。