2021年 2月 の投稿一覧

予定が定まらず

時間の管理

昨年度からスケジュールは、グーグルカレンダーに、もっぱら入れるようになった。手書きで手帳に書いていたが、かなり便利といえば便利。しかしながら、事が多すぎて、なかなか予定も入れにくいのも事実である。すべての事柄にすべてをこたえられないので、全部を入れられないし、また相手にも都合がある。う~ん、自己完結の用事ばかりではないので、その調整というのは難しいものだ。それにしても、なぜこんなにあたふた生きなければいけなくなったのだろう。とかく心に余裕がないため、いらないことは考えたくない。過去・今・未来、あ~あ時間に縛られている。時間の管理法を学びたいところ。

あれこれごちゃごちゃ

せわしい毎日

横やりのように、仕事が入る。ありがたいことだが、オーバーヒート気味になっている。目の前のことをこなすということに終始していては、もう少し先、あるいはもっと先の未来の手当てができないわけで、変なジレンマがある。年度末になると、補助事業や来年度の公募など新しい動きのためのものが走馬灯のように情報が出て消える。うまく活用している人はそのように動くし、知らない人は何もなかったように生きるのみだ。アンテナの張り方。ひょっとしたら大きく変わるわけで、ここは踏ん張り時。さあ頑張ろう!

宮澤賢治と農業

農業と文学-耳で読むー

年末に農業と文学をテーマにしたら、面白いんじゃないかと思い、ラジオでも取り上げることにした。絵本作家の澤口たまみさんとセッションしたわけだが、ほんと楽しい時間だった。耳で読む、すごい名言だった。宮沢賢治は、人の幸せを誰よりも望み、農業、自然にも目を向けていた。一方で人間で必要な自然も知っていたと思われる。農業の件で、ぱっと浮かんできたのは、宮澤賢治でそう語れる人にもなかなか出会えないが、ほんといい機会に恵まれた。澤口たまみさんは宮沢賢治の作品の朗読CDも手掛けている。耳で読んでみよう!

陶芸教室

陶芸を学ぶ

秋口くらいから息子が陶芸を習いたいと言い出し、陶芸を月に一回、学んでいるが、娘たちも学ぶようになった。もう手慣れたもので、いろんなものを創作する。コップ、さら、置物、花瓶・・・。思いはそれぞれ。なかなか陶芸を習いたいとは子供が言うことは少ないのではないか。今回はお父さんにお母さんに、おじいちゃんにおばあちゃんにとプレゼントするとか、自分で使うとかいろいろ。楽しんでやればいい。芸術にかかわるというのは、いいことだ。絵画でもいいし、彫刻でもなんでもいい。何かにかかわり、感受性を高めていくことを続けていけばいいと思っている。子供の教育に正解はないかもしれないが、学校とは違う「科目」はきっと将来もやくだつはずだ。

希望に満ちる

またまた写真が出てきたので

9年前。僕も若い。呉市に住んでいたころの写真である。はじめての子で、未知の世界ばかりで楽しい日々、時間だったような気がする。ちょうど学術研究も燃えていたころで、手探りながらやっていた。たまたま失意の時に農業会計の場に呼んでいただき、捲土重来を期していたころである。この時期は戻ってこないが、こういう写真を見ると、子供がいてよかったなと思う瞬間である。やはりこのころはまだ自分に余裕があったのだろうと思う。まだまだきっと頑張れたけど、頑張っていないんだろうと思う。コロナになることも予想はしていなかった。希望に満ちていたのかもしれない。若いころの「ギラギラ」したものを取り戻していきたい。けん引するほどの圧倒的なパワーがいる。さあ頑張ろう!

巣ごもり Pt3

ふるさと納税より

外に出ない→お金を使わない→家で食事するという流れ。とすると、節税しながらご馳走をという発想から普段食べない丸焼きを頼んでみた。なかなかの食べ応えであったが、京都府亀岡市のふるさと納税であるが、コロナでの飲食店支援の商品であった。養鶏農家、精肉店、仲卸、飲食店・・・、いろいろ影響あるわな。ふるさと納税もこれだけ普及してきた制度なので、出品者も購入者もまだまだ活用していくといい。税の移動もあるので、地方自治体が普段行えるサービスができなくなるところもあれば、逆もあるが、ひとまず制度としてある以上は活用してくのはベターな考えであろう。とても美味かった。また頼もうかな。

過去の写真より

平成の二宮金次郎

2012年の今日である。平成の二宮金次郎、長男をおんぶしながら仕事をする自分。懐かしい1枚である。長男、3か月くらいだからまだ小さなころだが、しっかりしているのかカメラ目線である。年々忙しくなってきており、あれやこれや考えることはある。あれもしたい、これもしたいと思うところだが、はっきりこれはしないというのも見えてきた。少しずつだが、絞り始めている気がする。子育ての話で何か仕事があればいいなと思うし、写真はやらせに見えるだろうが、こうやって仕事もできる。考え方ひとつなのだ。しかし、それにしても思いで深い写真である。

亡き父親の誕生日

税の申し子

2月16日、亡き父の71回目の誕生日である。生前、2/16 は、金正日氏の誕生日であり、確定申告のスタートの日。いろいろあるものだ。とんと性格は合わなかったが、亡くなって思うことは、親父よりもっとひどい人間がたくさんいるという事実。これは客観視できなかったところである。かといって、素晴らしい人間だったかと問われると、そうではない。しかし、これは多くを望むことが正しいということではない。僕も多くの人に会いすぎた。71歳だとまだまだバリバリの現役だぞ、普通は。忙しいから天国から手伝いに来い!所得税も結構変わったぞ。足手まといになるかもしれんが、今日という日。確認までUPしたい。

娘たちからのバレンタイン

 

写真はイメージで

バレンタイン。チョコレートをいただいても、うれしいと思うことはないが、娘からもらったバレンタインはさすがにうれしかった。写真を撮る前に食べてくれというので、食べたが、自作のもの。不揃いな形で、ハートや星の形。やはり女の子のなのかなと思うところ。6歳と5歳の二人の娘もこうしたことがもうできるようになったが、いつまで僕にチョコをくれるのだろうか。いつか知らない男に娘をやる時期が来ると思うと、せつなくはなる。娘という存在は父親にとって格別なものだ。また来年、楽しみにしたいと思う。

フラワーバレンタイン

花飾り

今日の日本農業新聞の記事。花き業界が10年前からフラワーバレンタインを提唱し、気軽な花飾りの文化を作っていこうとするもの。コロナ渦中で、花き業界も需要が落ち込み、こうした新たな習慣は農家の支援にもなる。それ以上に記事にも書いてあるが、花を贈る文化、花を通じたコミュニケーションは、遠くにいる人へもいいだろう。花がある生活というのは、心を穏やかにする。イベントや冠婚葬祭も縮小(派手にできない、大勢では開催できない)と考えると、消費の落ち込みは予想できる。バレンタインに限らず、花の存在を見直す機会にもなり得るのではないか。花を選ぶ楽しさも送る側としては楽しんでみたい。